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支度・十八分
「これ、何のメモ」と妻が手帳を持って立っていた。
開いていたのは先週の頁で、「支度・十八分」とだけ書いてあった。他意はない、と私は言った。他意はないのに、なぜ書くのか、と妻が聞いた。答えられなかった。
旅行の予約は、その前の週にもう入れていた。石川の記念日とは別に、九月の連休で渋温泉を取っていた。取り消すという発想が、どちらからも出なかった。気まずいまま、予定だけが残った。
十五時からの送迎
長野駅で新幹線を降り、長野電鉄の特急に乗り換えた。湯田中駅までは四十五分。宿の送迎は、十五時以降に着いた客からしか受けないと、予約のときに言われていた。それより早い電車には、意味がなかった。私たちはちょうど十五時過ぎの電車を選んでいたが、選んだというより、他に選びようがなかった。
車内で、妻は窓の外を見ていた。私は時刻表アプリを開かなかった。開く必要が、今回はなかった。
送迎の車で、宿までは八分だった。運転手は何も聞かず、何も言わなかった。

鍵は、ひとつ
帳場で、鍵をひとつ渡された。町に九つある外湯を、この鍵で開けて回るのだという。九つ回ると、苦がひとつ流れる、と紙に書いてあった。九、と苦、が同じ音であることを、私は帳場で初めて知った。
部屋には風呂が無かった。館内にも貸切の湯がいくつかあり、外の九湯とは別に使えるという。どちらから入るか、妻とは決めなかった。鍵は、そのまま私の上着のポケットに入った。
夕方、私は一人で外湯へ出た。妻は館内の貸切湯へ向かった。別々に行くことを、どちらも言い出さなかった。ただ、そうなった。
湯けむりの上がる細い通りを、提灯の灯りだけで歩いた。すれ違う下駄の音が、思ったより多かった。九湯は宿泊客なら誰でも回れるので、鍵を持っているのは私たちだけではない。
一番湯の前で、私は少し待った。中から男が一人出てきた。手拭いを絞らずに肩へ掛けて、鍵を握ったまま、次の湯のほうへ歩いていった。

三番湯まで回ったところで、鍵を持たない妻と、通りで会った。
「そっちの湯、混んでた」と妻が言った。
混んでいた、とだけ答えた。段取りも、時間も、聞かなかった。
九つ目
四番目の湯の前で、私は鍵を落とした。まだ夏の名残の、湿った石畳の上で、二度、滑って落とした。妻が拾った。拾いながら、声を出して笑っていた。
それから先は、二人で回った。鍵はひとつなので、開ける係と待つ係を、湯ごとに入れ替えた。
九つ目の湯を出たのは、九時を過ぎていた。妻は、九つ回ると苦がひとつ流れるという紙のことを、口には出さなかった。私も、出さなかった。そのまま、宿への道を戻った。
朝、宿を出るときに、鍵を帳場へ返した。次の客の名前は、聞かなかった。
十八分
家に帰った晩、手帳を開いた。先週の頁の「支度・十八分」に、指を置いた。線は引かなかった。
代わりに、今日の頁に一行だけ書いた。
「何時に出る、と聞いた。」
時間を測ったのではない。聞いただけである。聞いただけの行を、私はまだ、他の頁と同じ書き方でしか書けない。
