人物録
十二人の語り手と、一人の編者。
それぞれの「私」が、実在の宿に泊まって書く。
語り手たち
12人- 楓 いまはフリーの校正者。機械がかけた校正に追記を足す仕事を減らせないまま、単価がその半分に近い文芸のゲラも受けている。 仕事を機械に明け渡したあと、何が自分に残るか 最新作『二通りに書いてあった』——亀山温泉ホテルにて 宿の選び方 近いことと、安いこと。その二つを満たしたうえで、揃っていないものが残してある宿を選ぶ。 「湯が、一晩じゅう落ちていた。私が見ているあいだも、寝ているあいだも、同じ量が落ちていた。」 年譜と、宿の取り方を見る →
かえで - 悠真 追いかけていたグループは活動休止のままで、ファンどうしのやりとりだけが残っている。金額はいまも、現場何回ぶんかに換算して数える。 他人の物語を燃料にして、自分の予定表の空白とどう向き合うか 最新作『当落なし』——塔ノ沢 一の湯本館にて 宿の選び方 現場との距離で決まる。遠征の行き帰りに寄れるかどうかが、いちばん大きい。 「窓の無い部屋で、双眼鏡を持っている。」 年譜と、宿の取り方を見る →
ゆうま - 志乃 長く窓口だった人の異動で、仕事の筋が一つ細くなった。見積もりの行は、いまは作りながら自分で削っている。 評価の圏外で、自分の容量に合った暮らしを決めること 最新作『一本だけ、一人と書いてある』——はなれ宿 善積にて 宿の選び方 余白を見る。詰めすぎていない宿。何を置いていないかで決める。 「この一本だけ、料理より先に人数が入っている。」 年譜と、宿の取り方を見る →
しの - 克彦 同じ会社に四十二年いて、課長が十一年、部長が七年だった。電車で一時間半のところに八十代の母が一人でいて、出かける段取りは引き受ける。 成果の物差しを失った人間は、何を「大漁」と呼べばいいのか 最新作『一つ増える』——草津温泉 奈良屋にて 宿の選び方 段取りの決まっている宿を選ぶ。こちらが決める場面が少ないほどよい。 「減るものだと思って見ていたので、増えた一件を、私はどう扱えばよいのか分からなかった。」 年譜と、宿の取り方を見る →
かつひこ - 美咲 母が施設に入ってから、面会は週に一度、土曜の午後になった。面会と面会のあいだに空いた平日に、一泊だけ出る。 罪悪感ごと荷物を持ったまま、それでも休むこと 最新作『狭いほうが、高い』——谷地温泉にて 宿の選び方 帰れる距離かどうか。着信が入ったとき何時間で戻れるかを、湯のことより先に調べる。 「預けた日の数だけ、私も泊まっている。それは、引き算ではない。」 年譜と、宿の取り方を見る →
みさき - 蓮 日払いの現場で働き、入った日数のぶんだけ暮らしている。四年のあいだ、公募に出して、落ちて、また書いてきた。 結果の出ない日々を、どういう制度で書き続けるか 最新作『名前の半分』——土湯温泉 ニュー扇屋 源泉湯庵にて 宿の選び方 素泊まりの下限で決めている。日払いなので、増やした日数だけ一泊が増える。距離では止まらない。 「名前の後ろ半分は、僕の予約には付いてこない。」 年譜と、宿の取り方を見る →
れん - 千鶴 会津の温泉宿に勤めている。続けての休みが出た日に、よその宿へ客として泊まりに行く。 客を情報ではなく、顔で記憶する技術 最新作『十円で、七、八分』——千二百年の湯めぐり 大沢温泉 賢治ゆかりの自炊部「湯治屋」にて 宿の選び方 何時の客を受けると決めた宿か。それは、お品書きとプランの名前のほうに書いてございます。うちの刻限と引き比べて、読みます。 「湯より先に、廊下の音を聞いております。」 年譜と、宿の取り方を見る →
ちづる - 修一 半年に一度、貯えの帳面と年金の通知書を並べて計算する。他県に住む一人娘から誘いが来て、二人で出ることもある。 終わりのある仕事の豊かさ。毎日新しく終わること 最新作『おまかせ』——奥道後 壱湯の守にて 宿の選び方 便の本数で決まる。週に三往復しかない宿なら、その三往復のどれかに日を合わせる。 「その下に、名前はまだ一つも無い。」 年譜と、宿の取り方を見る →
しゅういち - 大輔 会社は人に渡した。睡眠も心拍もいまも測っていて、妻の親の介護は去年終わり、妻と二人、予定の入らない日が続いている。 計測をやめられない人間の、漸進的な手放し方 最新作『五分から十分』——万象の湯 湯治場棟にて 宿の選び方 所要時間も湯温も、数字で出てくる。数字で選ぼうとして、途中でやめる。 「内湯は三十度から四十一度と紙にあって、入ると、ぬるい。」 年譜と、宿の取り方を見る →
だいすけ - 有希 子を持たない生き方を選んだ。母を見送って、実家の片付けが半分残っていて、急ぐ理由がないので急いでいない。 選ばなかった人生を説明しない、静かな肯定 最新作『六件と二百円』——静響の宿 山水にて 宿の選び方 選ぶ基準が、宿の側に無い。遠さ、近さ、空いている平日、母の丸印。 「人数を言う場面が、この宿には一度もなかった。」 年譜と、宿の取り方を見る →
ゆき - 奈緒 自転車一台で街を走っていて、職場も同僚もなく、休んでも誰にも報告しなくていい。子どものころ夏に預けられていた祖母は、八十代になった。 走った街を一つも憶えていない働き方から、どう降りずに離れるか 最新作『よく走りましたね』——【雨晴】海辺の宿 女岩荘にて 宿の選び方 稼働を空けた日数だけ行ける。坂と段数は、着く前に数えておく。 「幅があるのに、自転車は一台も置いていない。」 年譜と、宿の取り方を見る →
なお - 沙織 息子が一人いて、夫は平日、単身赴任先にいる。自分一人で出かけるには、息子を誰かに預けることになる。 誰にも咎められていないのに、自分で自分を採点する声から降りられるか 最新作『数えずに済む』——越前あわら温泉 つるやにて 宿の選び方 一泊は、延長保育の何日ぶんか。それで決める。 「電話をかけようとして、番号を出したところで止めた。止めたまま、画面が暗くなるのを待った。」 年譜と、宿の取り方を見る →
さおり
