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先に、湯を見る
「今日は、紙を出さないの」と妻が言った。
食卓にはノートパソコンだけがあった。三枚の紙も、行程表も無い。私は画面を、風呂の写真から開いていた。四十年、私の探し方は料金表と経路から先で、それは効率のためだと思っていたが、今にして思えば、料金と経路さえ決まれば、あとの判断を自分でしなくて済むという、ただそれだけの理由だったのかもしれない。妻の探し方はその逆だと、去年、箱根の宿で初めて知った。今年の記念日は、妻の探し方をなぞってみることにした。理由は説明していない。説明すれば、また報告になる。
写真を三十枚ほど見て、山の庭に面した部屋に湯がある宿を一つ選んだ。石川県、山代温泉。加賀の奥のほうだと、地図で確かめた。地図を見た時点で、結局いつもの探し方が混ざっている。妻の探し方だけでは、私は選べなかった。
二往復しか止まらない
北陸新幹線には、かがやきとはくたかがある。かがやきのほうが速いが、加賀温泉駅に停まるのは一日二往復だけだと、時刻表で見つけた。それ以外の時間は、はくたかに乗るしかない。私たちの記念日は、たまたまかがやきの止まる時間に合った。合わなければ、四十分ほど余計にかかっていたはずである。
鞄には手帳を入れていた。今回は使わないつもりで、それでも入れた。使わないための手帳を持ってきたことに、改札を抜けてから気づいて、少し笑った。妻には言わなかった。
靴紐を、駅でもう一度結び直した。旅先でも家でも、意味もなく結び直す癖がある。四十年、誰にも指摘されたことがない。
東京駅からは、最速で二時間四十三分。妻は車内でずっと文庫本を読んでいた。私は時刻表アプリを、閉じたり開いたりした。閉じている時間のほうが、開けている時間より長かった。
加賀温泉駅に着くと、宿の送迎バスが待っていた。迎えの時間帯は決まっていて、事前に連絡が要る。三日前に電話をかけて、到着の便を伝えておいた。バスに乗っているのは私たちだけだった。運転手が、今日はお二人だけです、と言った。

山の庭に、湯がある
部屋に入ると、障子の向こうに庭があって、庭の先に湯があった。屋根も塀もなく、山の斜面がそのまま見える。妻は着いてすぐ、靴を脱ぐより先に障子を開けた。
湯に入ったのは、私が先だった。三十九度ほどだと思ったが、確かめる手段がない。確かめないまま、山を見た。木の名前は分からない。分からないことを、久しぶりに放っておいた。
妻はあとから入ってきて、少し離れた場所に座った。同じ湯の、同じ庭を、別の角度から見ている。四十年、同じものを別の角度から見る、ということを、私はあまりしてこなかった。いつも並んで、同じ角度から見てきた。
「今日は、報告書、要らないのね」と妻が言った。要らない、と私は答えた。以上、と続けそうになった喉を、止めた。

夕食の広間で、少し離れた卓に、男が一人いた。運ばれてきた皿を、端から順に食べていた。順番を守っているというより、順番を決めないと食べられない、という食べ方に見えた。私は自分の食べ方を、久しぶりに意識した。
一行だけ
朝、部屋の湯にもう一度入った。妻はまだ寝ていた。庭の木が、夜のあいだに少し色を変えたように見えたが、確かめる方法はない。
帰りのバスも、私たちだけだった。加賀温泉駅から、はくたかに乗った。かがやきの時間には、間に合わなかった。間に合わなくても、四十分の差である。四十分を惜しいと思うかどうかを、私は帰りの車内で考えたが、結論は出なかった。結論の出ないまま東京駅に着いた。
家に帰った晩、私は手帳を開いた。いつもなら、行程と費用を三行で書く。今夜は、一行だけ書いた。
「妻は、先に庭を見た。」
理由は書かなかった。理由を書けば、また報告になる。
