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一行
見積もりの一行を、東京では削れなかった。
「コンセプト設計」という行である。実際にやることは、その下の三行と変わらない。名前だけを足していた。足したのは、紙面がすかすかに見えたからだ。
新規の相手で、金額は今年書いたなかでいちばん低い。低い見積もりほど、行数を足したくなる。
送信のボタンの上に、カーソルを置いたままにした。置いたまま台所へ行って、戻った。まだ置いてあった。送らないまま、画面を閉じて、鞄に入れた。
行き先は、地図で決めた。新幹線の通っていないところにした。乗り換えが二度あって、着くまでに半日かかる。半日かけないと着かないところなら、着いた先で見積もりを開かないだろうと思った。山口の萩。行ったことがない。城下町だと書いてあった。
一人で取れる部屋は、一つだけだった。プランも一つ。選ぶところが無い。額は三万円台の後半で、あの見積もりより高い。選べないものに、その額を払った。
庭
宿は、城下町そのものを縮めたような造りだった。廊下の先に、庭が見える。庭の向こうに、萩の低い山並みが見えた。庭が山を借りている。
借景、と呼ぶことは知っていた。使ったことはなかった。
部屋は、和室が一つ。物が少ない。畳の上に、置くものが無かった。

部屋食
夕食は部屋に運ばれた。膳の上、皿と皿のあいだに、思ったより間があった。
仲居は、八品を四回に分けて運んだ。二品ずつではなく、三、二、二、一だった。最後の一つは汁で、それだけを持って入ってきた。わたしなら、四、二、一、一にする。しない理由が、たぶんある。
三度目を置くとき、順番、気になりますか、と聞かれた。
見ていたつもりはなかった。見ていた。いえ、と答えた。仲居は膝をついたまま動かなかった。わたしは箸置きの向きを直そうとして、途中で手を止めた。直すところは、無かった。
「汁は最後に、と決まっておりまして」と言われた。決まりの理由は、言われなかった。
離れた廊下で、仲居が客室の札を確かめながら歩いていた。確かめて、次の部屋へ進んだ。歩き方に、迷いがなかった。
品数は多くない。膳の上は、薄く見えなかった。
トルツメ
食後、見積もりを開いた。
あの一行は、余白を埋めるために足したものだった。埋める必要のない余白を、埋めていた。
一行を、削った。削ってから、詰めて送った。理由は書かなかった。送ったあと、画面を伏せて、庭のほうを見た。
湯に入った。庭の見える貸切風呂ではなかった。窓は高いところに一つあって、そこから空だけが見えた。首を反らせて見た。反らせたままでいると、首の後ろが痛くなる。痛くなってから、上がった。
帰り
翌朝、庭をもう一度見てから発った。
庭のベンチに、男が座っていた。発つ支度は済んでいるのに、まだ座っていた。荷物は足元に置いてあって、片方の靴紐が解けたままだった。
見積もりの返信は、まだ来ない。
萩の駅へ向かった。
