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母の話はしない
「今度、実家のほうは」と姉が言った。声が、途中で止まった。
今日はしない、と私が先に言っていたからだ。
由布院に、姉と二人で行くことにした。理由は無い。理由の無い誘い方を、私たちはしたことが無かった。
一万坪
宿は、離れが十一棟あるという。私たちは離れを取った。部屋食だからだ。食事の席で、他の客の声が聞こえない。
敷地は一万坪だと、パンフレットにあった。離れと離れのあいだが、遠い。詰めればもっと建てられる土地に、詰めずに建ててある。姉は、パンフレットの紙がやけに厚いことに気づいて、こういう紙は捨てにくい、と言った。
姉は、二つ上である。実家の近くに住み、母の通院の窓口をしている。私は東京にいて、窓口をしていない。それだけの違いで、電話の内容が長いあいだ決まっていた。母は、どうしている。それだけになりがちな、電話の内容が。
由布院駅から、宿の送迎に乗った。歩いても二十五分だというので、姉は歩きたいと言ったが、荷物があったので送迎にした。金鱗湖のそばまで来ると、姉は窓の外を見て、何も言わなかった。何も言わないことが、珍しかった。

部屋食
夕食は離れの中で出た。運んでくる仲居も、一人だけだった。他の卓が無いので、他の客の顔も見なかった。
食事の途中、姉が母の話をしようとした。声には、ならなかった。二度目である。二度とも、自分で止めた。私は何も言わなかった。言わなくても、止まった。
姉が、笑った。理由を聞くと、隣の卓が無いのに個室みたいに静かなのがおかしい、と言った。個室だから静かなのではなく、隣が無いから静かなのだと、姉は分かっていて、それでも個室と言った。訂正はしなかった。

離れた場所に建つ本館のほうで、男が一人、レストランの窓際に座っているのが、庭越しに見えた。何を食べているかは、距離があって分からなかった。
二歳
朝、大浴場へ二人で行った。露天が三つあるという。三つとも入った。三つ目に入っているとき、姉が、また今度いつ来る、と聞いた。
理由は無い、と私は答えた。理由の無い誘い方を、私たちはこれからもする、という意味だった。姉に伝わったかは、分からない。
トルツメ
東京に戻って、姉に短いメッセージを送った。近くまで行くから、でも、母のついでに、でもない。用件の無いメッセージだった。
打ってから、理由をつけ足したくなった。指を止めた。
送信、とだけ押した。
