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RECORD № 020

非構造化データ、十一語目

分類できないものを、分類できないまま持てるか

三十四歳。港区白金台に一人で住む。データ分析の会社を経営し、あらゆる対象を変数とパターンに置き換えて生きてきた。旅館だけは、事業にしないと決めている。出張の合間に行き先を毎回変えながら宿を巡り、そこですれ違った人々の話を、この場所に集めている。どの話のどこかに、彼はいる。名前では出てこない。

黒瀬慧という語り手について →

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十語で止まっている

手帳の後ろから七頁目に、語彙が十個ある。新緑。川音。朝の冷気。灯。持ったまま。一行。顔で覚える。終わり方。計測しない。説明しない。四月から集め始めて、九月末で十個。月に二個のペースだが、実際には七月に四個入って、八月はゼロだった。分布は均等ではない。

このページには「非構造化データ」と名前を付けてある。名前を付けたのは、捨てないためだ。名前のないものは、私は捨てる。分類できないまま手元に置くことを、私は自分に許可していない。非構造化データ、と呼べば、いつか構造化する予定のものになる。予定があるものは、捨てなくていい。論理としては通っている。通っているが、四月から一度も構造化していない。

十語で止まっているのは、たぶん、集める対象が減ったからではない。私が、集めることに慣れたからだ。慣れると、引っかからなくなる。引っかからないものは、記録されない。

九月の第四週、由布院に宿を取った。大正十年創業。約一万坪の敷地に、離れが十一室。本館の洋室が六室。合わせて十七室。数字は把握した。把握したうえで、私は、把握して何になるのかを考えなかった。

二十五分

由布院駅から、宿までは徒歩で二十五分と書いてあった。タクシーなら五分。送迎もある。私は歩いた。歩いた理由を、私は説明できる。座っている時間が長かったから、体を動かしたかった。所要時間の差は二十分で、その二十分に他の予定はない。合理的だ。説明できるということは、たぶん、説明が要るということだ。

道は、途中から観光の通りになった。土産物の店が並んでいて、平日の午後でも人がいた。人の流れの中を歩きながら、私は歩幅を数えかけた。数えかけて、やめた。やめたことを、手帳に書くべきかどうか、考えた。書かなかった。書くと、それも記録になる。

一万坪

門を入ると、音が変わった。正確には、音が減ったのではない。通りの音がここまで届いていないだけで、別の音がある。木の葉と、どこかの水と、遠くの鳥。一万坪という数字を、私は面積として理解していた。理解していたが、歩くと、面積は距離になる。

離れが十一室あるという。建物が、木立のあいだに、離れて建っている。隣の建物が見えない位置に配置されている。設計者が意図的にそうしたのだろう。私はその意図を、変数として書き出せる。視線の抜けを遮る植栽の配置。建物の向きの角度。動線の交差の回避。書き出せるが、書き出したところで、この静けさは再現できない。再現できないものを、私はどう扱えばいいのか。

湖の霧

夕方、金鱗湖のほうへ出た。湖から霧が出ていた。水温と気温の差だと知っている。知っているが、知識は霧の見え方を変えなかった。

画像はイメージです

湖の縁に、若い女がひとり立っていた。スマートフォンを構えて、しばらくそのままだった。撮っていなかった。構えたまま、撮らずに、下ろした。それから、また構えた。今度は撮った。一枚撮って、画面を確認して、消したように見えた。指の動きがそうだった。

私はその一連を見ていた。見ていて、手帳を出しかけた。出しかけて、止めた。彼女がやっていたことに、名前が付けられなかった。撮る、でも、撮らない、でもない。分類できない。

離れの膳

夕食は部屋に運ばれてきた。離れは部屋食だと聞いていた。本館の洋室はレストランになるという。部屋のタイプで、食べる場所が変わる。私は離れを取っていた。取ったときの理由は、価格差の妥当性を検討した結果だったはずだ。はずだ、というのは、そのときの判定基準を思い出せないという意味である。

膳が置かれて、給仕の方が下がった。ひとりで食べた。由紀と最後に外で食事をしたのは、いつだったか。思い出そうとして、日付が出てこなかった。日付は記録してある。記録は残っている。開けば分かる。開かなかった。

彼女は、食べるのが遅かった。私が食べ終わってから、まだ半分残っていた。待っているあいだ、私は仕事の連絡を返していた。返せる、と思っていた。実際、返せた。その時間の使い方を、私は最適化と呼んでいた。いまは、待つ時間しかない。待つ相手が、いない。

十一語目

湯は源泉のかけ流しだと聞いた。単純温泉。大浴場が二つ、露天が三つある。露天のひとつに入った。夜で、木の影しか見えなかった。湯の中で、昼間の女の指の動きを思い出した。撮って、確認して、消す。あの動作の意味を、私は特定できない。良かったから消したのかもしれない。良くなかったから消したのかもしれない。両方あり得る。あり得る、というのは、決定不能ということだ。決定不能な事象は、私の仕事では保留に回す。保留のフォルダに入れて、判断材料が揃うのを待つ。判断材料は、揃わない。

画像はイメージです

部屋に戻って、手帳を開いた。後ろから七頁目。十語のあとに、一行空けて、書いた。撮って、消す。書いてから、これは語彙ではないと思った。動作である。分類が違う。分類が違うものを、同じページに書いた。分類できないものを、私は十一個持っている。

消さなかった

朝、霧が出ていた。昨日の湖の霧より濃い。敷地の木立のあいだに溜まって、建物の下の部分だけを隠していた。朝食を済ませて、十一時に出た。帰りは送迎を頼まず、歩いた。来たときと同じ道で、同じ土産物の通りを抜けた。朝の店は、まだ開いていないところが多かった。

駅で、手帳を出した。十一語目のページを見た。「非構造化データ」というフォルダ名を、消そうかと思った。消せば、これはただの語彙のページになる。予定のないもの、いつか構造化する見込みのないもの。捨てる理由が立つ。ペンを当てた。当てたまま、しばらくいた。消さなかった。

名前は付いたまま、中身は分類できないまま。どちらも、そのままにした。手帳を閉じて、鞄に戻した。改札の向こうで、霧が、まだ残っていた。

この続きに

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Field Notes

亀の井別荘

Overview

大分県
Region
大分県由布市湯布院町川上(由布院温泉)
Access
由布院駅から徒歩約25分、タクシー約5分。駅からの送迎サービスあり
Price
高価格帯(夕朝食付2名税込 109,956円〜)

Facility

Room
全17室。離れ11室 / 本館洋室6室(ツイン)。約1万坪の敷地
Meal
離れは部屋食、本館洋室はレストラン「螢火園」

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 老舗宿
  • 離れの宿
  • 部屋食の宿
  • 露天風呂付き客室

向いている人間

  • 約1万坪の敷地に離れが点在する構成で、密度の低い滞在を求める人
  • 離れを取って部屋食にしたい人
  • 源泉100%かけ流しの湯を客室でも使いたい人
  • 大正10年創業の宿に泊まりたい人

向いていない人間

  • 山中の一軒宿を求める人(由布院という観光地の中にある)
  • 予算を抑えたい人(夕朝食付2名で109,956円〜)
  • 20時より遅くチェックインしたい人
  • 本館洋室を取る場合、部屋食にならない点を許容できない人

予約前の注意事項

チェックインは15:00〜20:00、チェックアウトは11:00。食事の提供場所は部屋タイプで変わる(離れは部屋食、本館洋室はレストラン「螢火園」)。由布院駅から徒歩約25分あり、送迎の有無は予約時に確認を。一人泊の可否は明記がないため予約前に確認が必要。料金は変動する。