宿と小説の読みもの、余白
RECORD № 130

一本だけ、一人と書いてある

評価の圏外で、自分の容量に合った暮らしを決めること

経歴と容姿で値踏みされる場所からは、少しずつ降りてきた。年賀状は五枚だけ書く。紅葉は撮らない。憶えていられる分だけで足りる。少ないのは足りないからではなく、そう決めたからだ。

志乃という語り手について →

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一式

見積もりの三行目を消した。「ディレクション費 一式」。金額はそのまま下の行へ足したので、合計は動かない。一行減ったぶん、頁の白が増える。

新しい先方との打ち合わせは、渋谷の貸し会議室で四十分だった。帰りぎわ、若いほうが名刺入れを仕舞いながら言った。志乃さんって、おひとりでやってらっしゃるんですよね。はい。じゃあ、そのぶんお安くできますよね。

会釈をした。若いほうは名刺入れをもう一度開けて、そのまま仕舞い直した。

エレベーターは十四階から一階まで、どこにも止まらずに下りた。十月の初めで、ビルを出ると風が首の後ろに入った。

夜、見積もりをもう一度開いて、三行目のあった場所を見た。白は行と行のあいだに散って、どこにも溜まっていない。四か月前に一行削って、理由は書かずに送って、それが通った。通ったので、次も削った。いまは作りながら削っている。

六本

予約の画面を開いて、人数を一名にした。数が減るのを、去年の春から見ている。減ったあとに何が残るかで、その宿が誰のために値段を作ったかが出る。

伊豆高原の宿は六室で、全部が離れだった。棟が六つ建っている。一名にしても、プランは六本のままだった。

上から読む。旬の懐石。静岡育ちのステーキ。伊勢エビ。金目鯛の煮付け。アワビ。標準が三万九千八百円から、あとの四本が四万二千八百円から。

いちばん下の一本だけ、名前の付き方が違った。「大人のおこもり一人旅」。名前に入っている魚は四本目と同じ金目鯛で、三万五千三百円からだった。

同じ魚の名前が付いていて、七千五百円下がる。上の五本は名前に料理が入っている。この一本だけ、料理より先に人数が入っている。

一人ぶんを安くするなら、どこかの行を引くことになる。引いたのなら名前に出るはずだ、と思った。名前は四本目と同じ魚のままだった。

その一本を取った。

東京から特急で、乗り換えなしの二時間だった。伊豆高原の改札を出ると、タクシーが一台だけ残っていた。八分です、と運転手が言った。

ダッシュボードに、みかんが二つ並べてある。まだ青い。

上り坂で、エンジンの音が一段低くなった。それきり変わらなかったので、ずっと上っていたのだと思う。門の前で止まったとき、街の音のほうが先に無くなっていた。

画像はイメージです

案内された棟までは、外を歩いた。全部が離れなので、部屋へ入るのに一度外へ出る。

渡された鍵には木の札が付いていた。面取りが、角ごとに少し違う。手で削ったものは、削った人の持ち方が角に残る。

先に立った人が離れたあと、道の途中に男が一人、立ち止まっていた。鍵の札を手のなかで裏返して、表を見て、また裏返した。それから来た方向へ二歩戻って、別の道へ入っていった。わたしは自分の札を親指でなぞった。面取りの浅いほうが、表だった。

部屋の湯は外にあった。風呂の欄には、六名が入れる広さです、と書いてある。加水と加温をして、循環ろ過をしている、とも同じ頁にある。

入った。足を伸ばす。それから、端まで行ってみた。六名ぶんを、一人で往復した。

木が切れたところに海があった。十月の海は、朝の色を昼まで持ち越したような青で、境目だけ白い。伊豆大島を望む、と部屋の欄にあった。あれがそうなのだと思う。

画像はイメージです

夕食は部屋に来た。運んできた人は、盆を畳に置いてから、一品ずつ卓へ移した。手前から奥へ、左から右へ。器の縁に指がかからない持ち方をしている。

移し終えて、その人は窓のほうを見た。今日は大島が出ていましたね、と言って、下がった。わたしは大島の話をしていない。

金目鯛が出た。四本目の名前にも同じ魚が入っている。何がどう違うのかは、この膳からは読めない。

食べながら、同じことが六棟で起きているのを考えた。盆を畳に置いて、一品ずつ移す。それが六回ある。順番のどこかに、わたしがいる。

〇の行

五時半に目が覚めた。湯の落ちる音が、夜のあいだ止まっていない。

朝の膳も、同じ順で来た。門まで歩いたのは十一時だった。

帰りの電車で、見積もりを開いた。三行目をまた消した。

消したあと、その行の名前だけを戻して、金額の欄に〇と書いた。「ディレクション費 〇」。合計は変わらない。頁は一行ぶん長くなる。

送るかどうかは、まだ決めていない。窓の外で海が一度切れて、また出た。

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Field Notes

はなれ宿 善積

Overview

静岡県
Region
静岡県伊東市伊豆高原(南大室台)
Access
伊豆急行線 伊豆高原駅からタクシーで約8分。送迎の記載はない
Price
予約サイトで確かめた三万円台半ば〜(1名1室・夕朝食付) 2名1室での実測三万円台前半〜(2名1室の1名分・夕朝食付) 公開の情報から中〜高価格帯(じゃらんで1名1室・夕朝食付の最安三万円台半ば〜。2名1室は1名あたり三万円台前半〜。いずれも2026-09-13実測)

Facility

Room
全6室。全室が離れで、客室に海を望む露天風呂と内風呂がある。じゃらんの部屋補足は「全室離れ・露天風呂と内風呂付客室」、総部屋数は和室6室
Meal
朝夕とも部屋食。じゃらんを大人1名・1室で開くと6本のプランが出て、いずれも夕朝食付

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 離れの宿
  • 露天風呂付き客室
  • 部屋食の宿
  • 小規模宿

向いている人間

  • 全6室すべてが離れで、到着から出発まで他の客と動線が交わらない一泊を求める人
  • 客室の露天風呂から海を見たい人(じゃらんの風呂の欄に「お部屋に海の見える、専用露天風呂&内風呂有り。露天風呂は6名が入れる広さです」、一休.comに「海一望」「伊豆大島を望む」とある)
  • 朝も夕も部屋で食べたい人
  • 一人で取れる宿を探している人(じゃらんの大人1名・1室で6本のプランが出て、うち1本は一人旅向けに名前が付いている)

向いていない人間

  • 源泉かけ流しを条件にする人(加温・加水・循環ろ過がある)
  • 着く時刻を遅くしたい人(チェックインの終了時刻が掲載元で割れており、予約前の確認が要る)
  • 送迎を前提にする人(記載がなく、駅からタクシー約8分)
  • 食事処で食べたい人、宿の人と顔を合わせる時間を短くしたい人(朝夕とも部屋に運ばれる)

予約前の注意事項

温泉はかけ流しではない。じゃらんの温泉欄は「伊豆高原温泉(加水・加温・循環ろ過)」で、一休.comの泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉。チェックインの終了時刻は掲載元で割れている——一休.comは一般客室15:00〜17:30・嵐山15:00〜17:00、じゃらんは開始の15:00だけを載せ、公式サイトには21:00までのレイトチェックインが付くプランがある。予約の画面で確かめること。チェックアウトは11:00。送迎の記載はなく、伊豆高原駅からはタクシー(約8分)を見込む。じゃらんを大人1名・1室・日付未定で開くと6本とも夕朝食付で、いちばん安いのは「大人のおこもり一人旅」の35,300円で、名前に同じ金目鯛が入る通常プランは42,800円(2026-09-13実測)。献立が同一かどうかは掲載元に書かれていないため、比べられるのは表示額まで。館内に共用の露天風呂があるかは掲載元で食い違うため、湯は客室のものを見込むのが確実。料金は読むたびに動く。

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