宿と小説の読みもの、余白
RECORD № 131

当落なし

他人の物語を燃料にして、自分の予定表の空白とどう向き合うか

予定表が埋まっているうちは、何も考えなくていい。遠征と配信で週末は先まで塞がっている。空白があると、もったいない、と思う。その「もったいない」が何を指しているのかは、まだ考えないことにしている。

悠真という語り手について →

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私用

「現場?」

自販機の前で、同期が言った。

「違う」

「じゃあ何しに」

共有の予定表の、来週の金曜に、俺の休みが入っている。金曜を休んで、土日につなげる。遠征の組み方だ。

有給が消えるから、と答えた。九月三十日で、一日消える。入社してから、有給が余ったことは一度も無かった。足りなくなった年なら、何度もある。

同期は、ふうん、とだけ言った。俺は、まだ冷たいのしか並んでいない自販機で、水を買った。

申請の画面には、事由の欄がある。任意、と小さく書いてある。いつも私用と打ってきた。前は、中身がいつも現場だった。

今回も、私用と打った。

和モダン

箱根にした。

新宿から一本で行ける。行ったことは無い。地図のアプリで引いても、履歴に一件も出てこない。

一泊二食で、一万円台だった。箱根は、もっと高いものだと思っていた。

部屋の名前がいくつか並んでいた。和モダン、というのが、いちばん遠征のホテルに近い気がして、それにした。

押したら、取れた。当落は無かった。

Cコース

金曜の昼、新宿でロマンスカーに乗った。乗って、すぐ寝た。起きたら箱根湯本だった。寝ていたので、何分かかったのかは知らない。

駅の向こう側から、旅館組合の巡回バスに乗る。オレンジ色の小さいバスで、Cコース、塔ノ沢線。片道二百円で、車内におつりの用意は無いという。百円玉を二枚、財布から出して握っていた。遠征で覚えたのは、だいたい小銭の出し方だ。

五分で降りた。

画像はイメージです

先着

帳場で、モバイルバッテリーは館内では使えません、と言われた。貸し出しがあります、とも。

あとで、と言った。遠征で、あれを使わなかった夜は無い。

大理石の貸切風呂は無料で、夕方から夜の分は当日の先着順だという。鍵を受け取る前に、空いている枠を聞いた。二十一時半を取った。

部屋は三階で、エレベーターは無い。階段を上がった。

部屋に入って、窓を探した。

無かった。壁と、天井と、畳。八畳。

電気を消してみた。何も無くなった。

客電が落ちるときと同じだった。何千人かが一度に息を吸って、誰にも何も見えないのに全員が同じ一か所を向いていて、そこへ最初の光が来るまでの二秒か三秒が、たぶん俺がいちばん長く生きている時間で、あの二秒のために新幹線に乗って、有給を使って、物販の列に四時間並んで、並んでいるあいだに次の遠征の宿を取って、

電気をつけた。

鞄を開けた。遠征の鞄のまま来た。底から、双眼鏡が出てきた。

窓の無い部屋で、双眼鏡を持っている。

鞄に戻した。

夕食には、七十分の飲み放題が付いていた。二杯飲んだ。三杯目を頼むかどうかで、七十分のうちの何分かを使った。

部屋に戻って、布団を自分で敷いた。そういう部屋だった。二十一時半まで、まだ一時間以上ある。スマホは九パーセント。

電気を消して、横になった。少しだけ、のつもりだった。

大理石

目が開いた。

暗い。夜の暗さではない。部屋の暗さだった。

スマホを押した。長く押しても、画面は黒いままだった。

何時なのか分からない。二十一時半がまだ先なのか、もう過ぎたのか。窓が無いので、外に聞くこともできない。

テレビの黒い画面に、布団と俺が小さく映っていた。点けないで、廊下に出た。明るかった。

階段を下りた。下から、上がってくる足音があった。

「いま、何時ですか」

聞いてから、相手を見た。男だった。男は黒い手帳を右手に持ち替えて、左の手首を返した。

「五時十二分です」

それから少し置いて、

「この時計が合っていれば」

と足して、上がっていった。

合っていなかったら、と思った。確かめる物は、手元に何も無い。

二十一時半は、八時間近く前に過ぎていた。取った枠を、空けた。現場なら、空席だ。

朝は予約なしで入れる、と帳場で言われていた。大理石の風呂の戸を開けた。誰もいない。

湯に入った。縁の石が、背中に冷たい。浸かっているところは温かくて、湯から出ている背中の細い帯だけが冷たい。

首を回すと、左で一度鳴った。もう一度回した。二度目は、静かだった。

時計が無いので、頭の中で曲を流した。最後に行った現場の、一曲目。四分十一秒。二曲目、三分五十八秒。

三曲目のイントロのあたりで、自分の息の音のほうを聞いていた。

そこで、出た。

部屋に戻って、スマホをコンセントに挿した。画面が点くまで、壁の前に座っていた。

月曜

自販機の前で、また同期と並んだ。

「金曜、何してたの」

「寝てた」

「どこで」

「箱根」

「箱根まで行って?」

「箱根まで行って」

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Field Notes

塔ノ沢 一の湯本館

Overview

神奈川県
Region
神奈川県足柄下郡箱根町(塔ノ沢・早川沿い)
Access
新宿から小田急ロマンスカーで箱根湯本まで約90分(公式)。箱根湯本からは旅館組合の巡回バス(Cコース・塔ノ沢線)で約5分・片道200円。路線バスなら「上塔ノ沢」下車徒歩1分。箱根登山鉄道なら塔ノ沢駅から徒歩10分
Price
予約サイトで確かめた一万円台後半〜(1名1室・夕朝食付) 公開の情報から中価格帯(じゃらんの大人1名・1室で夕朝食付一万円台後半〜・素泊まり一万円台半ば〜。2026-09-18実測・日付未定の検索)

Facility

Room
一般和室と和モダンルーム(一人の夕朝食付プランでいちばん安い部屋。一万円台後半〜・じゃらん・2026-09-18)。露天風呂付和室(小)と展望風呂付和室(小)も同じプランで取れる(二万円台半ば〜)。公式の客室は9タイプで、建物は木造4階の数寄屋造り。和モダンルームは3階・8畳で、バス・トイレ・洗面台が無く、宿は「このお部屋タイプは窓がございません。景観はございませんが静かで落ち着いた環境でお過ごしいただけます。」と書いている(じゃらんの注記は「窓からの景観はございません」)。早川に面しているのは、露天風呂付和室(1階)と展望風呂付和室(2〜3階)だと公式が書いている
Meal
夕食・朝食とも館内のレストラン。夕食は17:45か18:45に始まり、70分の飲み放題が付く。朝食は7:40〜8:30の3部制。献立は宿が「一例」と書いている

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 老舗宿
  • 文化財の宿
  • 貸切風呂の宿
  • 渓流沿いの宿

向いている人間

  • 一人で一泊二食を取りたい人(じゃらんの大人1名・1室で、夕朝食付のシングルユースプランが出る)
  • 平日に一泊だけ、新宿から乗り換えを少なく行きたい人(ロマンスカーで箱根湯本、巡回バスで約5分)
  • 景色より、静かに眠れることを取りたい人(窓の無い和モダンルームを、宿が「静かで落ち着いた環境」と書いている)

向いていない人間

  • 部屋から川を見たいのに、いちばん安い部屋を取ろうとしている人(和モダンルームは宿が「窓がございません」と書いている。早川に面すると公式が書くのは露天風呂付・展望風呂付の和室)
  • 大浴場で露天に入りたい人(大浴場に露天は無い。露天風呂が付いているのは露天風呂付和室の客室)
  • 部屋に風呂とお手洗いが要るのに、いちばん安い部屋を取ろうとしている人(一般和室と和モダンルームはバス・トイレ無。トイレ付きと公式が書くのは露天風呂付和室)
  • エレベーターが要る人(館内の移動は階段だけ)
  • モバイルバッテリーで充電しながら過ごすつもりの人(持ち込みのモバイルバッテリーは館内で使えない。フロントに貸出がある)

予約前の注意事項

一人で取れるのは、じゃらんの大人1名・1室で出る2プラン(夕朝食付と素泊まり)で、2名で出る16プランより少ない。和モダンルームは窓が無く景観が無いと宿が書いている(じゃらんの注記は「窓からの景観はございません」)。一般和室と和モダンルームはバス・トイレが無く、和モダンルームは洗面台も無い。大浴場は男女入替制で、露天とシャワーは無く、0時から5時は入れない。湯の使い方は掲載元で割れている(公式は循環・掛け流し併用式、じゃらんは加水・加温・循環ろ過)。エレベーターは無い。持ち込みのモバイルバッテリーは館内で使えない(フロントに貸出がある)。大理石の貸切風呂は無料で、15時から23時は当日フロントで先着順の予約制、朝は予約が要らない。一人で夕朝食付を取るプランのチェックインは18時まで、チェックアウトは10時。じゃらんの予約受付は前日の18時まで。料金は読むたびに動くので、予約の画面で確かめること。

次の話

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九月二十七日 日曜 奈緒の話が出る。