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供給のない週末
金曜の夜、会社を出てすぐ予定表のアプリを開いた。癖だ。会社では俺は真面目な側で通ってる。定時で上がるために昼を十分で済ませる。理由は誰にも言わない。俺の予定表は色分けしてある。青が現場、緑が遠征、黄色が配信、灰色が会社。五月はほぼ青と緑で埋まってて、埋まってるのを見ると腹の底が安定する。残高を見るより、こっちを見るほうが効く。
来週の土日だけ、白かった。
ツアーの中日。名古屋と福岡のあいだに挟まった、公演のない週末。追加公演を見込んで空けといた枠に、追加は来なかった。発表は水曜の夜で、俺は告知を三回読み直した。ない、という情報を、三回。
配信の予定もない。自作の供給カレンダーを月表示にしても、その二日は白いままだった。班のグルチャで誰かが「休養も履修のうち」と書いて、俺は笑うスタンプを押した。押してから、検索窓を開いた。入れる語が、なかった。
帰りの電車で、その土日に入る何かを探した。対バン、リリイベ、舞台挨拶。土曜に一件、行けなくもない現場があった。履修してないグループの。三駅ぶん悩んで、やめた。埋まればいいってもんでもない、と思ってから、埋まればいいと思ってる自分に気づいた。
遠征のこだまは、いつも三島に停まる。乗換案内の画面の端に「修善寺」の三文字が出る。終点の駅。地図で見ると、線路が途中で終わってる。行ったことはない。終点、って字面が、その夜は妙に効いた。
検索して出てきたのは文化財の宿だった。明治から昭和はじめの木造の棟が十五件、国の登録有形文化財。全部で三十一室。写真の真ん中を川が流れてた。値段は、ざっくり名古屋遠征一回ぶん。チケット、新幹線、ホテル、物販、締めてそれくらい。それで一泊。高い。高いが、枠が埋まる。ポチった。チェックインは十八時まで。入場時間みたいだ、と思った。予定表のその枠を、俺は青にした。誰も出ない現場。
玄関には実家から届いた米が二袋、開けないまま積んである。またいで風呂に入って寝た。
こだまは全部の駅に停まる
土曜の朝の東京駅は、遠征の匂いがする。キャリーケース。うちわの袋。誰かのリュックで揺れるアクスタ。俺のにも三つ付いてる。売店で新作の炭酸を一本。新作は必ず試す。今回はハズレだった。桃が薄い。
こだまで三島まで約五十分。通知はいつもの間隔で来た。ソシャゲのスタミナ全快。フリマアプリの値下げ——探してた缶バッジが三百円下がってる。買った。三百円は現場換算だとゼロだ。グルチャでは誰かが朝から円盤を再履修してて、実況が二分おきに流れてくる。品川。新横浜。小田原。窓の外は速くて、緑が緑のまま形にならない。
三島で駿豆線に乗り換えた。短い編成。扉が開いたまま発車を待って、冷房より、入ってくる外の風のほうが涼しい。終点の修善寺まで約三十三分。走り出すと窓の外が急に近くなった。田植えの終わったばかりの水田が空を映して、細い苗が水鏡に緑の点線を引いてる。撮った。班に送りかけて、やめた。誰の供給でもない写真は、送り先がない。通知は二駅に一件くらいになった。間隔が空くと、空いたことに気づく。気づいてる自分にも気づく。暇だ。暇って、こういう感触だったか。
終点。ホームの先に車止めがあって、線路がそこで終わってた。実物は写真より素っ気ない。でも俺はしばらく見てた。線路の終わりを正面から見るのは、たぶん初めてだった。

駅前から東海バスの「修善寺温泉」行きに乗る。約十分。この十分、通知はゼロだった。二回、画面を点けて確かめた。圏外じゃない。来ないだけ。窓の外は山が近くて、緑が濃い。文が短くなってるのが、自分でわかる。
川音の現場
バスを降りたら、音が先に来た。川だ。桂川。温泉街の真ん中を流れてて、両岸のもみじがまだ若い緑で、水面の照り返しで葉の裏まで明るかった。川の中に屋根つきの小さい湯場が見える。坂の上に寺の門。川風が半袖にちょうどよくて、五月の終わりの日はまだ高かった。歩く速度でしか回れないサイズの街で、開演前に会場のまわりをうろつく時間と、ちょっとだけ似た浮き方をした。
宿は川沿いにあった。新井旅館。通された部屋は和室十畳。廊下は一歩ごとに床が鳴る。築百年クラスの木は、防音って概念の外にいる。障子を開けると窓の下が桂川で、川音がガラス越しに入ってきた。高い音と低い音が混ざって、ずっと鳴ってるのに聴き飽きない。コメ欄のない生配信みたいだと思って、例えがすぐ古巣に帰るのを、ひとりで笑った。
仲居さんが障子に手をかけて言った。「お風呂は、夜通し入れますので」
夜通し。いい語だ。俺の生活で夜通しは、たいてい何かの受付か物販列だった。
釘を使ってない風呂
夕方、天平大浴堂に行った。昭和九年築。設計したのは画家の安田靫彦で、木組みに釘を使ってないらしい。らしい、じゃなかった。湯に浸かって見上げるとわかる。太い柱と梁が、彫り込んだ木同士の噛み合わせだけで屋根を持ち上げてる。金物なしで九十年。湯は源泉かけ流しで、縁からずっと溢れて、溢れたぶんは誰も数えてない。
俺は肩まで沈んで、湯気の向こうの梁の継ぎ目をたどりながら、釘を打てば一瞬で済むところを何日もかけて彫って嵌めていった大工のことを考えて、それは誰も見てない深夜に推しが喉を作ってる時間と同じ側のもので、俺が現場で払ってる金は本当はああいう時間への金なんだと、湯の中で急に長く考えた。考えすぎてのぼせかけた。上がった。

風呂上がりの廊下は、川の音がまた近い。何も起きてない。何も起きてないのに、なんか、満ちてる。供給、という語が浮かんで、違う気もしたが、他の語を持ってない。
縁側に男が一人いた。手帳を閉じて、川を見ていた。長いこと、そのままだった。
夕食はお食事処で、月替わりの会席。皿が一枚ずつ来る。次の皿までの間に、俺は三回スマホに手を伸ばして、二回やめて、一回見た。通知、なし。器の説明を、珍しく最後まで聞いた。大正のころ、芥川龍之介がここに泊まったというのは、予約したあとの検索で読んだ。百年前の客も、この川音の上で寝たわけだ。
布団に入って、残高のアプリを開いた。宿代、こだま、駿豆線、バス。締めて名古屋一回ぶん。来月は千秋楽の遠征があって、有給の残りは三日。指を折って数えて、数え終わって、天井を見た。暗くて梁は見えない。床がどこかで一回鳴った。後悔はしてない。口の中で言って、いつもと同じ言い方だなと思った。いつもは物販の袋を枕元に置いて言う。今夜は、袋がない。
眠れないというより、寝るのがもったいなくて、夜中にもう一回風呂に行った。夜通し、を使ってみたかった。廊下の灯は落ちてて、床の鳴りが昼より響く。湯には誰もいなかった。誰もいない現場に一人きりは、初めてだった。
川音は一晩、止まらなかった。
戦利品のない帰り
朝食は重箱の膳だった。段を持ち上げるたび、小さいおかずが升目に並んで出てくる。ガチャの……いや、違うな。やめた。窓の外の桂川は、朝の光で夜より速く見えた。
帰りは同じ道を逆に辿った。バスで駅へ。乗り物が大きくなるたび、通知が戻ってくる。駿豆線で三件。三島のホームで七件。こだまに乗った瞬間、グルチャが動き出して、車止めも水田も、画面の裏側に沈んでいった。
小田原の手前で、夏のイベントの先行受付開始の通知が来た。親指はいつもの速度に戻って、全日程にチェックを入れた。入れてから、一日ずつ日付を見た。見ただけだ。送信した。
部屋に戻って、リュックを下ろした。軽い。物販の袋がない遠征帰りは初めてで、棚に足すものがない。手が空いた。手ぶらのまま、玄関の米袋を見た。物販の段ボールをどかして、炊飯器を出した。二合だけ研いだ。シンクの水音は、川とは似てなかった。
