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現場の翌日
名古屋二日目の終演が二十時十四分。物販で並んで、ホテルに戻ったのが二十二時半。
風呂に入る前にスマホを見た。ライブレポのタグが伸びていて、俺と同じ日に同じ箱にいた人間が、俺の見なかった角度の写真を上げていた。上手側の三列目。そこからだとあの照明がああ見えるのか。保存した。
今回の遠征は二日で、有給を一日と土曜を使った。交通費と宿とチケットと物販で、ざっと現場二回ぶん。いや、二回半。数えたところで別に減らない。減らないが、数えないと落ち着かない。
帰りの新幹線を取っていなかった。取っていない、というのは正確じゃない。取らなかった。
去年から、遠征の最終日に予定を入れないようにしている。入れると、終演から逆算して動くことになる。逆算しているあいだ、まだ現場にいるのに現場が終わっていく。
ホテルのベッドで、地図を開いた。名古屋から特急が一本で行けるところ。飛騨川を遡っていく線が一本あって、その途中に下呂と書いてあった。
宿を探した。上から三つ目に、昭和六年創業と書いてある宿があった。写真の建物が、木造の三階建てだった。
料金を見た。現場一回ぶんよりは高い。物販でセットを一式買うのと、だいたい同じ。
後悔はしてない。まだ何もしてないから、後悔しようがない。予約を押した。
ひだ、一時間二十七分
翌朝の名古屋駅は、昨日の夜と同じ場所とは思えないくらい静かだった。
特急ワイドビューひだ。名前に何かを主張してくる感じがあるが、乗ると普通の特急だった。下呂まで一時間二十七分。
飛騨川が、ずっと右にいた。ときどき左に来た。橋を渡ったからだと後で気づいた。
水の色が、上流に行くほど白っぽくなる。濁ってるんじゃなくて、白い。石が白いのかもしれない。石の名前は分からない。

通知が三回来た。三回とも見た。三回目のあと、機内モードにした。機内じゃないけど。
窓の外は、山と川と、たまに家。家は、屋根の勾配がどれもきつい。雪が落ちるようにしてあるんだと思う。思うだけで、調べていない。調べたら、たぶん見るのをやめる。
下呂駅に着くと、宿の送迎の車が停まっていた。十三時三十五分から十七時二十五分のあいだ、と予約のときに書いてあった。時間が決まっている送迎に乗るのは、少し現場に似ている。
車は温泉街を抜けて、坂を上がった。上がりきったところで停まった。
九十五年
建物を、下から見上げた。
木造の三階建て。玄関の棟と、渡り廊下と、宿泊棟。二〇一〇年に国の登録有形文化財になっている、と案内に書いてあった。
昭和六年。西暦で言うと一九三一年。俺が生まれるより六十年くらい前。
敷地が五万坪あるらしい。五万坪がどれくらいか分からないので、歩いてみた。歩いても分からなかった。分かったのは、建物と建物のあいだが遠いということだけだった。別館があって、洋館があって、景山荘というのがあって、それぞれ離れて建っている。
部屋は四十室あるという。四十室ぶんの人間がこの敷地のどこかにいるはずなのに、渡り廊下で二人しかすれ違わなかった。
階段が木でできていて、上ると鳴った。鳴る場所が決まっている。三段目と、七段目。二回目に上ったときも同じところが鳴った。
これは誰の供給でもないな、と思った。
推しが立つステージには、俺のために組まれた部分がある。少なくとも、俺を含む誰かのために組まれている。この建物は違う。九十五年、ただ建っている。俺が来ても来なくても、鳴る段は鳴っていた。
誰の供給でもないものが、九十五年ぶんそこに建っていた。
部屋の膳と、足湯

夕食は部屋に運ばれてきた。
俺の前に膳が置かれて、俺しかいない。物販の列も、Xのタイムラインも、隣の席の人の反応もない。うまいと思ったとき、それを言う相手がいなかった。
食べ終わって、外に出た。足湯があった。
ベンチに座って、足だけ湯に入れた。湯は熱くて、足首から下だけが別の生き物みたいになった。
少し離れたところに、男がひとりいた。同じように足だけ湯に入れて、膝の上で手帳に何か書いていた。書いては止まる。止まっているあいだ、湯を見ていた。
俺も湯を見た。
スマホを出して、ロックを解いて、何も開かずにポケットに戻した。それを二回やった。三回目はやらなかった。
鳴る段
チェックアウトは十一時だった。朝、もう一度あの階段を上ると、三段目と七段目が鳴った。二日目でも、同じところが鳴る。当たり前だが、その当たり前が、少し嬉しかった。俺が二回上ろうが百回上ろうが、鳴る段は鳴る。誰のためでもなく、ただ鳴る。
送迎の車で駅まで下りて、ひだに乗った。飛騨川は、今度はずっと左にいた。行きと逆だから当然で、その当然に気づくのに、少し時間がかかった。
名古屋で乗り換える前にスマホを見ると、次の現場の先行抽選が、今夜二十三時締切だった。申し込んだ。指は、速かった。そこは、変わらない。
東京まで一時間三十七分。座席に着いて、今回の遠征の合計を計算しようとして、途中でやめた。数えても減らないのは、前から知っている。知っていて、それでもずっと数えてきた。今日はじめて、途中でやめた。窓の外は速すぎて、何も見えなかった。
