宿と小説の読みもの、余白
RECORD № 013

三組しかない日の、余白

評価の圏外で、自分の容量に合った暮らしを決めること

経歴と容姿で値踏みされる場所からは、少しずつ降りてきた。年賀状は五枚だけ書く。紅葉は撮らない。憶えていられる分だけで足りる。少ないのは足りないからではなく、そう決めたからだ。

志乃という語り手について →

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断った日

三件目を断った。理由は書かなかった。以前は書いていた——スケジュールの都合、と。嘘ではないが、正確でもなかった。断り方の文面は、年々短くなる。トルツメを重ねた結果みたいに。

依頼は、十二年つきあった会社から来た。宛名の下の名前を、わたしは知らない。窓口だった人は去年、事業部ごと動いた。挨拶は無かった。件名には、トンマナを合わせるだけで結構です、とあった。合わせる先の三案は添付されていなかった。それも聞かなかった。

下書きのまま、二時間置いた。置いているあいだ、右の肩が上がっていた。下げてから、送った。また機会があれば、と返ってきた。三十四文字だった。数えたわけではない。数えられる長さだった、というだけ。

予定表の今月は、白いところが半分を超えている。白を余白と呼ぶのは、わたしの仕事の言葉だ。自分の月に付いた白は、余白には読めなかった。詰め忘れに見えた。口座は、去年の同じ月の半分。憶えていられる分だけあればいい、と思ってやってきて、その通りにしていると、細る。

その晩、宿を予約した。一日三組しか取らない宿で、一泊六万円台。空いていることに、値段が付いている。原理には、反する。

東荒屋

金沢まで新幹線、駅からバスに乗った。市街を出るまでが長い。信号のたびに、車内の誰かの荷物が鳴った。三十分ほどで、東荒屋という停留所に着いた。終点ではない。降りたのは、わたしだけだった。

そこから八分歩く、と書いてあった。歩きはじめて二分ほどで、音が減った。減ったというより、種類が変わった。車の音がなくなって、代わりに、水の音がどこかにあった。道の脇に、稲が立っている。八月の終わりで、まだ青い。青の濃さが、株ごとに少しずつ違った。八分は、思ったより長く、長いことに、腹が立たなかった。

三組

画像はイメージです

古民家だった。築二百年と聞いていた。柱が、まっすぐではない。まっすぐに見えるが、目で追うと、途中で気が変わったように曲がっている。 帳場で、宿帳に名前と住所を書いた。書き終えると、この欄もよろしければ、と言われた。ご滞在の目的、と印字してある。下に線が三本引いてあって、三行ぶんの空きがある。

仕事、でも、旅行、でもない。断ったから来た、とは書けない。わたしは三行を見ていた。

宿の人は、書かなくても結構です、と言った。

一行目の頭に、点を一つ打った。それだけ残して、宿帳を返した。

部屋は三つで、その日は三組。三組いるはずなのに、着いてから夕食まで、誰にも会わなかった。湯は部屋についていて、他の人と共有しない。入って、しばらくして、肩から力が抜けた。ここでは、誰にも見られない。見られていないと気づくのに、湯に浸かってから十分かかった。

夕食へ下りる途中、突き当たりの部屋の前に、履物が一足だけ揃えてあった。爪先は、部屋のほうを向いていた。わたしはその向きを、通り過ぎてからもう一度見た。

夕食は薪火だった。火の音が、皿の合間に聞こえる。膳を運んできた人が、一度だけ、外を見てください、と言った。見ると、山の輪郭が、まだかろうじて空と分かれていた。分かれ目のところだけ、色が薄い。

夜、湯

夜中に、もう一度湯へ入った。温泉が敷地の中から湧いていて、湧く音がする、と聞いた。耳を澄ませたが、わたしには分からない。分からないまま、湯に浸かっていた。

この二十年、詰めるほうが安全だと思ってきた。詰めておけば、少なくとも足りないとは言われない。湯の中で、手足を伸ばした。伸ばしきったところで、指の先が縁に触れた。触れたまま、しばらく戻さなかった。

画像はイメージです

余白

チェックアウトは十時だった。来た道を八分歩いて戻ると、行きと同じ稲が、行きと同じ青さで立っていた。バス停の時刻表を見ると、次の便まで十七分あった。十七分、ベンチに座っていた。スマホは出さなかった。十七分ぶんの余白を、詰めずに、そのまま置いた。

バスが来て、乗った。市街に近づくにつれ信号が増え、増えるたび、車内が少しずつ賑やかになった。新幹線の指定は、二本あとの便に取り直した。

待つあいだに、三十四文字の返信を開いた。一行だけ返した。次の号なら、と書いた。送るとき、右の肩の位置を確かめた。

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Field Notes

Onsen & Garden 七菜

Overview

石川県
Region
石川県金沢市七曲町(七曲温泉)
Access
東京駅から北陸新幹線で金沢駅へ。金沢駅からバス約30分、「東荒屋」下車徒歩8分。金沢中心部からは車で約20分
Price
予約サイトで確かめた十万円台前半〜(1名1室・夕朝食付) 2名1室での実測七万円台半ば〜(2名1室の1名分・夕朝食付) 公開の情報から高価格帯(夕朝食付2名税込 十二万円台後半〜。じゃらんの夕朝食付2名1室では1名あたり七万円台半ば〜、同日の Relux は二食付き2名1室 税込十三万円台後半〜で1名あたり六万円台後半〜。2026-09-05 実測)

Facility

Room
全3室・1日3組限定。欅(70平米・定員1〜4名)/ 栗(60平米・定員1〜3名)/ 山桜(60平米・定員1〜4名)。一棟貸しにも対応
Meal
夕食は薪火調理のフルコース10品。朝食は和食・洋食から選択。かまどで炊いた飯、季節の山菜・キノコ・ジビエ・地元野菜

宿タイプ

  • 古民家の宿
  • 小規模宿
  • 露天風呂付き客室
  • 貸切風呂の宿

向いている人間

  • 1日3組限定の規模で、他の宿泊者と動線が重ならない滞在を求める人
  • 客室付きまたは貸切の露天で、湯を他人と共にしたくない人
  • 築200年の古民家に泊まりたい人
  • 薪火調理やかまどで炊いた飯に関心がある人

向いていない人間

  • 予算を抑えたい人(夕朝食付2名で127,160円〜)
  • 金沢市街の観光と組み合わせたい人(バス30分+徒歩8分)
  • 18時までにチェックインできない人

予約前の注意事項

チェックインは16:00〜18:00、チェックアウトは10:00。最寄りのバス停「東荒屋」から徒歩8分。一人泊は客室の定員上は可能だが、一人泊時の料金は未確認のため予約前に確認が必要。料金は変動する。

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