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二十年ぶり
母を、二十年ぶりに旅行へ誘った。二十年前は、父も一緒だった。
今回は、母と二人だけである。理由は父の他界でも、私の退職でもない。ただ、二十年、誘わなかっただけである。
二月に、母から電話があった。用は無かった。天気の話と、近所の店が閉まった話をして、私は五分で、じゃあ、と言った。受話器を置いた手を、そのまましばらく机に載せていた。時計を見ると、まだ二時前だった。その日の予定は、それで全部だった。手帳の二月の欄には、歯科が一件だけ書いてある。
段差のない部屋
宿を選ぶとき、私は初めて「バリアフリー」で検索した。窓にその語を打つのに、時間がかかった。打って、消して、また打った。三度目で検索した。
金沢の古民家の宿に、その表示がついた部屋が一室だけあった。欅、という名前だった。
二十年前の宿の名前は覚えていないが、母がそこの廊下を「遠い」と言ったのは覚えている。三室なら、廊下は短い。
予約の画面に、段差の少ない客室、と書いてあった。少ない、であって、無い、ではない。少ないの中身を、私は聞かなかった。
川にかかる橋
金沢駅からバスで三十分、東荒屋というバス停で降りた。母には長い道だったので、そこからはタクシーにした。
小さな橋を渡ると、宿があった。玄関の上がり框で、靴が二足、外へ向きを変えられた。男が一人、揃えてから、框に手をついて上がった。手をつくのに、ちょうどよい高さらしかった。古い梁が、頭上に何本も渡っていた。母が、上を見て、太い、とだけ言った。
部屋へ案内される途中で、宿の人が、お電話で段のことをご心配でしたね、と言った。
玄関から部屋までは段が一つで、と言った。高さは、まで言って、続きが出なかった。母が横に立っている。私は母の足のことを、母の前で、初めて会う人に報告しようとしていた。
廊下の先で、誰かが盆を置く音がした。母が、なんともない、と言った。
そうですか、と宿の人が言った。

何もしない部屋
部屋の入口に、段が一つあった。低い。母は何も言わずに越えた。越えるとき、右手が壁に触れた。触れただけで、体は預けていない。私は、その手を見ていた。
部屋には、貸切の露天風呂が付いていた。二人で交代で入った。母が先に入り、私は部屋で待った。二十二分だった。
出てきた母の髪が濡れていた。乾かすか、と聞いたら、いい、と言われた。
夕食は、薪で炊いた料理が出た。母は、父が魚を焼く火加減にうるさかった、と言った。うるさかった、という言葉に、母が少し笑った。私は、父が魚を焼いているところを、思い出せなかった。

夕食のあと、母がテラスの椅子に出て、動かなくなった。十分ほどして、母が手招きをした。行くと、川の音が、部屋の中より大きかった。二人で、それを聞いた。
橋の板
朝、母が、次はいつか、と聞いた。
二十年後とは言わないでほしい、と私は言った。母は、分かってる、と答えた。
帰りのバスの時刻は、前の晩に調べてあった。宿を出るときに、あと十分ありますと言った。母が、調べてたのね、と言った。私は、はい、と答えた。母は、そう、と言って、庭のほうを見に行った。私は玄関に立って、母が戻ってくるのを待った。橋の板が、川の上で鳴っていた。
電話
東京に戻って四日目に、母から電話があった。用は無かった。天気の話と、近所の店がまた一軒閉まった話をした。
私は時計を見た。二時前だった。見たまま、じゃあ、とは言わなかった。三十分ほどして、母のほうが先に、じゃあね、と言った。
受話器を置いて、その日の予定を思い出そうとした。歯科は先週で終わっている。
