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十三回忌
法事は午前中に終わった。十三回忌だと、住職が言った。父が死んで十二年経った勘定になるらしい。十二年と十三回忌がずれる理由を、私は毎回忘れる。
案内状の宛名を書いた晩、父の同僚の一人のところで手が止まった。住所録の頁を後ろへめくり、前へ戻し、また後ろへめくった。三度めくって、その一枚は書かなかった。
返信は十一通で、九通が欠席だった。父の同僚の欄は、全部欠席だった。住職が帰ったあと、座布団を重ねた。十一枚あって、使ったのは五枚だった。重ねる手が、途中で止まった。
母と、竹原港からフェリーに乗ることにした。法事のついでである。
法事の日取りを決めるのに、三か月かけた。決めてしまえば、手帳のその一日だけが埋まって、前後は白い。
島には橋が無い。帰りの最終は十七時二十分である。私は帰りの便を三つ調べて、三つとも手帳に書いた。どれにも丸はつけなかった。
橋のない島
竹原駅から港までは、歩けば十八分だという。母には長いので、タクシーにした。フェリーは大崎上島まで二十五分。
「お父さんは船に酔ったことがない人だったの。私はいつも酔った」と母が言った。
待合の時刻表を、指が上から下へたどっていった。いちばん下まで行って、また上へ戻る。男が一人、それを二度繰り返した。私は自分の手帳の頁を、上着の上から押さえた。
自動販売機に、島でしか売っていないというサイダーがあった。買わなかった。

宿の送迎は要事前予約だと聞いていたので、法事の日取りが決まった時点で電話をしておいた。垂水港から十六分。
車に乗るとき、運転手が、お帰りの便は何時になさいますか、と聞いた。橋が無いので、そこだけ先に決めていただきます、と続いた。
私は手帳を出した。三つの便が並んでいて、どれにも丸がついていない。
運転手はエンジンをかけたまま、ハンドルに手を置いている。母は窓の外を見ている。手帳の三行を、私は上から順に二度読んだ。
十時二十分で、と母が言った。運転手は、承知しました、と答えて車を出した。私は手帳を閉じた。
瀬戸内の膳
夕食は大広間だった。卓と卓のあいだが広い。母は入口に近いほうがいいと言った。私も同じことを考えていた。
瀬戸内の魚介が出た。母は、父が魚を残さない人だったと言った。残さない人だった、という言い方に、私は少し引っかかったが、聞き返さなかった。
卓が広く、身を乗り出さないと声が届かない。箸を置いて、少し前へ出た。出たところで、母は次の皿に移っていた。

十二年
朝、露天風呂から瀬戸内海が見えた。母は湯に入らず、窓から海を見ていた。ガラスの向こうに背中があって、動かない。湯の中から、船が一隻通るのを見た。母もそれを目で追っていた。追い終わって、母は首を少し動かした。私は肩まで沈んで、耳まで湯に入れてみた。船の音は、聞こえなかった。
朝食はバイキングだった。母は皿に三品だけ取った。私は七品取って、二品残した。
垂水港の自動販売機で、行きに買わなかったサイダーを二本買った。一本を母に渡した。母は一口飲んで、甘い、と言い、半分残した。残った半分は、私が飲んだ。
帰りのフェリーで、母が、父の位牌の埃を、先週初めて自分で拭いた、と言った。今まで拭いていなかったのかと聞くと、拭いていた、でも今回は違う拭き方をした、と言った。違う拭き方が何かは、聞かなかった。
甲板に出て、手帳を開いた。三つ並んだ便の、十時二十分のところに丸をつけた。
竹原の港が近づいて、母が立ち上がった。私はまだ座っていた。残りの二つの便は、書いたまま残した。
