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赤字
十津川の宿から帰って、五か月が経った。指摘の欄に書く手は、まだ速くなり続けている。
先週、新しい発注元から依頼があった。ただし条件がついていた。まず生成AIの校正結果を確認し、そこに追記する形で仕事をしてほしい、という。追記、という言葉を、しばらく見ていた。追記は校正ではない。校正は、原稿そのものと向き合う仕事だ。分かっていたが、単価は悪くなかった。
受けた。受けてから、ゲラの角を撫でる回数が増えた。単価交渉は、今回もしなかった。
フェリーでしか渡れない島に、温泉宿があるという記事を見た。橋がかかっていない、という一文に、なぜか目が止まった。
竹原
新幹線、在来線、また乗り換え。竹原駅で降り、港まで歩いた。十八分。歩きながら、道の看板の書体の不揃いが目に入った。統一されていない字体が、かえって読みやすいということがある。均一でないものには、値段のつけ方がない。
フェリーに乗った。二十五分。海は凪いでいた。乗客は少なかった。

清風館
垂水港から、送迎車で十六分。島の温泉宿は、五十四室あるという(一休.comの表記では五十五室で、数字が一致していなかった。誤植を見つけたときと同じ感覚が、少しだけあった)。
ロビーで、封筒を折っている男を見かけた。折り目の角が、少しだけずれていた。几帳面に見えて、几帳面ではない折り方だった。誰かに見せる封筒ではないのかもしれない。手には手帳があった。
会席
夕食は個室で出た。品書きの文字に、小さな誤植を見つけた。「筍」の字が「笋」になっていた。指摘する立場ではない。指摘しないまま、箸をつけた。

追記の仕事のことを、また考えた。原稿そのものと向き合う仕事と、誰かの生成物に追記する仕事は、同じ「校正」という名前で呼ばれてしまう。名前が同じだと、違いが消えていく。消えていくことに、まだ慣れていない。
選び方
朝、もう一度温泉に入った。湯の色は、夜と変わらなかった。
垂水港へ送迎車で戻り、フェリー、在来線、新幹線と乗り継いで、東京へ戻った。
車内で、受けるかどうか迷っていた別の一件のことを考えた。単価は、今回のものより低い。ただ、赤を入れたい文章だった。単価ではなく、それで選んでみることにした。決めた、というだけで、まだ返信は送っていない。
均一でないものには、値段のつけ方がない。値段のつけ方がないものを、今日は一つ選んだ。
