本記事はアフィリエイト広告(Expedia・一休.com・じゃらんnet)を利用しています。
ゲラを読み直すように
四本ぶん、宿に泊まった。
その四本を、いま読み直している。読み直す、と書いたが、正確ではない。私は読み直すことしかできない。初校を読み、再校を読み、念校を読む。同じものを何度も読んで、前の自分が見落としたものを見つける。それが仕事である。
見つけるのは、たいてい不揃いである。字送りが一行だけ違う。中黒の使い方が揃っていない。同じ人物の名前が、二十ページ先で一字変わっている。
目がそういうふうにできてしまったので、宿でも同じものを見る。柱がまっすぐでない。器の大きさが揃っていない。廊下の板の色が、途中から変わっている。
ただ、そこで手が止まる。
揃えるのが仕事だから、揃っていないものの前では、手が止まる。
赤を入れる理由がない。誤植ではないからだ。誤植ではないものを、私は直せない。
揃っていない宿
強羅花扇(神奈川・箱根強羅)
全室に露天風呂がついている宿だった。ここは揃っている。揃っていて、それでも良かった。良かった、は言い過ぎかもしれない。落ち着いた、が正確だ。
岩井温泉 岩井屋(鳥取・岩井温泉)
湯が、一晩じゅう落ちていた。私が見ているあいだも、寝ているあいだも、同じ量が落ちていた。仕事の速度と関係のないところで動き続けているものを、久しぶりに見た。
静響の宿 山水(奈良・十津川温泉)
鉄道が通っていない村にある。全九室で、食事は個室に運ばれてくる。貸切風呂が二つ。
その村について書かれた本を、私は校正していた。著者は五回、「鉄道のない村」と書いていた。五回とも直さなかった。直す理由がなかった。
きのえ温泉 ホテル清風館(広島・大崎上島)
フェリーでしか行けない島にある。
均一でないものには、値段のつけ方がない。私はそれを、仕事の話として考えていた。単価を決められないものは、受けられない。受けられないものは、なかったことになる。
赤を入れなかった理由
四本とも、私は何も直していない。
直せるものがなかったからではない。直す資格が、私の側になかったからである。
校正は、原稿より正しい位置に立たない。書き手が選んだ不揃いと、書き手が気づかなかった不揃いを、見分けるところまでが仕事で、そこから先は書き手のものだ。
宿も同じだった。あの柱の歪みは、直されなかったのではなく、直さないと決められていた。
そう思ったら、赤字が入らなくなった。
赤字が入らない、というのは、私の仕事では良いことではない。良いことではないが、四本ぶん、そうだった。
