宿と小説の読みもの、余白
第 134 話

六件と二百円

選ばなかった人生を説明しない、静かな肯定

子を持たない生き方を選んだ。母を見送って、実家の片付けが半分残っていて、急ぐ理由がないので急いでいない。

有希の一晩は、これで12話目。 前の一晩は『七百八十五段』、ことひら温泉 琴参閣(香川県仲多度郡琴平町)。

有希という語り手について →

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残っている日

十月の暦は、第二月曜に一つだけ色がついて、下旬はどこにも色がない。

上期の締めで、人事の仕組みから通知が来た。有給の残りが十四日。うち五日は、年度内に取らないと消える、とある。消える、という書き方だった。

平日に一日、取ることにした。火曜にした。

前に一人で泊まったのは初夏で、四か月前になる。

夜、予約の頁を開いて、人数のところを二名から一名に替えた。

六件になった。

二名のときより二件少ない。残った六件は全部、夕食と朝食が付いている。部屋は一種類しか出てこない。川の見えるお部屋、とある。風呂なし、トイレなし、と小さく添えてある。二名に戻しても、部屋はその一種類のままだった。減ったのはプランの本数で、部屋ではない。六件のどれにも、あと二部屋、と出ていた。

いちばん安いのが一万五千二百円。二名の側では、同じ部屋の同じプランが、一人あたり一万五千円だった。

二百円である。

一人で行くことに、二百円の値がついている。それだけが違って、あとは同じだった。

空室の並びを、月の表で見た。土曜と日曜は、ひと月ぶんすべてに×がついている。残っているのは平日で、火曜に二部屋あった。平日のほうにだけ、数がある。

別の窓口も開いてみた。そちらは人数が二名から下へ動かなかった。寝具を必要とする方が二名から、と書いてある。

一万五千二百円のほうを押した。奈良県の南の端にある村で、鉄道は来ていない。

翌日の昼、同僚が、来週どこか休みますかと聞いた。

火曜です、と答えた。

どこか行くんですか、と続いた。

ええ、と言った。それで終わった。向かいの机に、子どもが二人写った写真が立ててある。去年の夏に増えた一枚で、きれいに撮れている、と前に言ったことがある。思ったから言った。

休暇の申請には、理由の欄がある。私用、と打った。いつもそう打っている。母のときは、介護、と打っていた。あのころ、続きを聞かれたことはない。

大和八木から

新幹線で京都へ出て、京都で近鉄に乗り換えた。

大和八木の南口に、バスが一台待っていた。十一時三十八分発。この駅から村へ行く便は、九時十五分、十一時三十八分、十三時三十八分の三本である。宿の迎えは十五時からの対応だから、朝の便では着くのが早すぎる。夕方の便では、暗くなってから着く。

真ん中の一本だった。

全長は百六十九キロで、停留所は百六十八ある。高速道路を通らない路線では、これがいちばん長いと、事業者が書いている。

五条で十分ほど停まった。上野地では二十分で、吊り橋を見に行く人が何人か降りた。私は座っていた。

窓の外は、途中から川になった。右手に谷があって、斜面の上のほうだけ色が替わっている。下のほうはまだ緑で、境目が水平ではなく、斜めに引かれていた。山は上から順に替わっていく。

画像はイメージです

十六時十四分に十津川温泉で降りた。

山水

バス停に車が来ていた。谷をもう少し行った先に、九室の宿がある。

部屋は川のほうを向いていた。風呂はない。トイレもない。障子を開けると、下に川があって、音が上がってくる。

夕食は個室だと、頁に書いてあった。この宿は、客を同じ部屋に並べない。

湯へ行った。硫黄の匂いがする。別の窓口の施設の欄には、源泉かけ流し、と、加水あり、が並べて書いてあった。薄めていることを、自分のほうから書いている。

露天は川に向いていた。浴槽は全部で八つあるというが、私は露天と、星の見える寝湯に入った。目を閉じると、水の音と、葉の音が別に聞こえた。

湯から出ると、廊下の突き当たりに窓があった。窓際に男がひとり立っていて、小さな手帳に何か書いている。私が通ると、書く手は止めずに、少し身を引いた。

一人分

個室は襖で仕切ってあった。

膳が一つ、部屋の真ん中ではなく、窓のほうに寄せて置いてある。向かいには何も置いていない。

人数を言う場面が、この宿には一度もなかった。

画像はイメージです

郷土の料理、と頁には書いてあった。運ばれてきたものの名前は、聞かなかった。

食べながら、二百円のことを思った。

一人で来ると二百円高い。その計算は正しくて、どこにも間違いがない。間違いのないものに、私は言い返す気になれない。

会社の申請には理由の欄がある。年賀状には近況を書く行がある。親戚は、集まると聞く。どれも請求書のように届いて、どれも、払えば静かになる。私用、と打てば通る。

ここでは、誰も聞かなかった。

障子の向こうで、川が鳴っていた。音は一晩、同じ強さだった。

書かなかった

朝、障子を開けると、谷に霧があった。山の色が、昨日より少し下まで来ているように見えた。見えただけで、一晩で動くものではない。

朝食も個室だった。膳は、夕食と同じ側に寄せてあった。

十時に部屋を出た。帰りの便は十二時十四分で、二時間と少し余った。バス停の近くに腰を下ろして、谷を見ていた。

十一月の暦を、頭の中で開いた。色のつく日が二つある。どちらも、私が休みを取る日ではない。

東京に戻った。

次の朝、来月の休みを一日、申請に入れた。十一月の、色のついていない火曜である。

理由の欄に、私用、と打った。それから、一字ずつ消した。

空のまま送信した。通った。

欄は、空でも通る欄だった。それを、今日まで知らなかった。

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Field Notes

静響の宿 山水

Overview

奈良県
Region
奈良県吉野郡十津川村平谷(十津川温泉)
Access
近鉄大和八木駅(南口)から奈良交通の八木新宮特急バスで十津川温泉下車。平日の大和八木駅(南)発は9時15分・11時38分・13時38分の3便で、十津川温泉着はそれぞれ13時39分・16時14分・18時14分。帰りの十津川温泉発は平日8時1分・10時1分・12時14分の3便。全長169.3km・停留所168で、途中、五条駅で約10分から20分、上野地(谷瀬の吊り橋)で約20分、十津川温泉で約10分の休憩が入る。十津川村観光サイトは大和八木駅前(南口)から十津川温泉まで約4時間20分と書いている。十津川温泉バス停から宿の無料送迎あり(15時以降の迎車対応)。十津川村には鉄道が通っていない
Price
予約サイトで確かめた一万円台半ば〜(1名1室・夕朝食付) 2名1室での実測一万円台半ば〜(2名1室の1名分・夕朝食付) 公開の情報から中価格帯(じゃらんを大人1名・1室・2026-11-24で開くと、夕朝食付が6件で一万五千円台から一万九千円台まで。同条件の2名1室は1名あたり一万五千円から。2026-10-18実測)

Facility

Room
全9室。和室(2018年10月リニューアル)。大人1名の検索で出る部屋は「◆川の見えるお部屋」和室の一種類で、じゃらんの表記は「※バスなしトイレなし」。同条件の2名検索でも出る部屋は同じ一種類なので、1名だけ部屋を絞られている宿ではない
Meal
夕食・朝食ともに個室での提供。他の客と席を共にしない。大人1名で出る6プランは6件とも夕朝食付で、最安は【定番】離れの宿(郷土料理)。献立の違うプランが同じ日に並ぶ(2026-10-18実測)

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 小規模宿
  • 渓流沿いの宿
  • 貸切風呂の宿
  • 秘湯

向いている人間

  • 一人で取ると割増されるかを先に確かめたい人(1名1室の最安は一万五千円台で、同条件の2名1室の1名あたりとほとんど変わらない。2026-11-24泊を2026-10-18に実測)
  • 食事を個室で取りたい人(夕食・朝食とも個室での提供)
  • 貸切風呂で湯を他の客と共にしたくない人(2つ。利用方法と料金は確かめていないので、予約前に宿へ)
  • 平日に空いた一晩で動く人(2026年11月の1名の空室表では土曜と日曜が全部×で、残室が出るのは平日だった)
  • 鉄道の通っていない土地へ路線バスで行くことを許容できる人

向いていない人間

  • 部屋に風呂やトイレが要る人(1名で出る和室はじゃらんの表記が「※バスなしトイレなし」)
  • 一休.comで取りたい人(1名1室の窓がない。プランに「寝具を必要とする方が2名から4名まで」の明記がある)
  • 15時より前に着きたい人(宿の送迎は15時以降の対応。朝9時15分の便で行くと13時39分に着いてしまう)
  • 13時38分の便で向かう人(十津川温泉着18時14分で、チェックイン18時に間に合わない)
  • 10時より遅くチェックアウトしたい人
  • 加水のない源泉かけ流しを求める人(加水がある)

予約前の注意事項

十津川村には鉄道が通っていない。大和八木駅から十津川温泉へ行く路線バスは平日3便(9時15分・11時38分・13時38分)で、帰りも平日3便(8時1分・10時1分・12時14分)。13時38分の便は十津川温泉着が18時14分で、チェックインの終わり(18時)を過ぎる。平日に東京から入るなら11時38分の便になる。宿の無料送迎は十津川温泉バス停からで、15時以降の迎車対応である。チェックインは15時から18時、チェックアウトは10時。源泉かけ流しだが加水がある。1名で出る部屋は「※バスなしトイレなし」。一休.comには1名1室の窓がないので、一人で取るならじゃらん側を見ること。全9室で、1名の空室表は土日に×が並ぶ。料金は読むたびに動くので、予約の画面で確かめること。

一人の部屋の知らせ

一人で取れる部屋が出たとき、一通お知らせします。
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