ABOUT
RECORD № 010

遠いほうの切符を買う

選ばなかった人生を説明しない、静かな肯定

子を持たない生き方を選んだ。その選択に至る道のりを、彼女は誰にも説明しない。説明しないことは、隠すことではない。他所の物差しで測られない生き方の練度を、静かに上げ続けている人。

有希という語り手について →

本記事はアフィリエイト広告(一休.com)を利用しています。

祝日の並び

昼休みの給湯室で、隣の課の人が子どもの写真を見せてくれた。運動会の列の中の白い帽子のひとつに指を添えて、これ、と言う。私はちゃんと見た。走るときの腕の振り方がお母さん似だったので、そう伝えた。彼女は笑って、画面を仕舞った。写真はちゃんと見る。ちゃんと見て、ちゃんと返す。

話は保育園の送りの渋滞から、夏休みの学童の抽選に移った。私は麦茶を注ぎながら聞いていた。有希さんは連休どうするの、と訊かれた。遠くに行きます。いいなあ、身軽で。そうですね。暑いですけど。話はそこから天気になった。天気の話は長く続かないかわりに、誰のことも訊かない。

水曜の夜、実家から電話が来た。母は畑の茄子の出来から話を始めて、それから従妹の二人目の話をした。そう。よかったね。うん、元気。仕事も普通。連休は出かける。遠く。母はそれ以上訊かなかった。訊かないでいることを、母は母で続けている。電話を切ってから、台所の梅シロップの瓶をひと揺すりした。六月に漬けた氷砂糖が、底にまだ溶け残っている。今年は梅が固かったから、いい香りになる年だと思う。

手帳の七月の欄には、月曜にひとつ祝日がある。土日と合わせて三日。祝日の並びを見るのは昔からの癖で、並びのいい月は、遠くまで行ける月ということにしている。三日の初日に印を付けて、地図のいちばん遠いところにある宿を取った。城崎。片道およそ五時間。五時間は長い。長いのがよかった。それ以上の理由は、誰にも、自分にも用意しなかった。予約の頁に、志賀直哉が三週間いた宿だと書いてあった。本棚から、しばらく開いていない短編集を抜いて、鞄に入れた。

下りの五時間

土曜の朝、東京駅でのぞみに乗った。新幹線の冷房は強い。七月でも、薄い羽織を鞄に入れてある。京都まで二時間十五分。文庫本はカバーを外して読む。外したカバーは、いちばん後ろの頁に挟んでおく。

静岡のあたりで窓の外を見た。富士は夏の靄に上半分を消していて、裾の青だけが残っていた。浜名湖は白く光り、水の上に筏の点線が並んでいた。本は半分まで進んだ。

京都の乗り換えは、観光客と熱気の中を歩いた。ホームで冷えた緑茶を一本買った。待っていた特急きのさきに乗る。ここからのほうが長い。二時間半かけて、列車は兵庫の北へ下りていく。

嵯峨嵐山を過ぎると、街が急に終わった。保津峡。トンネルの暗と川の緑が交互に来て、水は深いところで碧く、浅いところで白く割れていた。私は本を閉じた。この区間は、窓のほうがいい。

福知山で人が減った。和田山でまた減った。車内が静かになるにつれて、窓の緑は濃くなった。五時間の移動を長すぎると言う人は多い。私は長い乗り物が苦にならない。窓と、本と、ときどきの眠気があれば、五時間はちょうど五時間ある。

豊岡を出ると、右の窓に川が付いた。円山川。幅が広く、急がない川で、葦が岸を埋め、中州に白い鷺が一羽立っていた。海が近くて、勾配がもう残っていない。流れて見えないだけで、流れている。私は終点まで、その川を見ていた。

画像はイメージです

城崎温泉駅は終着だった。線路が改札の手前で終わる。駅を出るとそこがもう温泉街の入口で、駅舎の隣に外湯のひとつ、さとの湯が建っていた。着いた人を、まず湯が迎える並びになっている。宿へは川沿いを十五分歩く。柳が水面に触れる高さまで枝を垂れ、午後の日がその影を路面に敷いていた。私は影から影へ、荷物を持ち替えながら歩いた。

三百坪の庭

三木屋は、通りに面した木造の宿だった。この地で続いて、およそ三百年になるという。いまの建物は昭和二年に建てられ、東の棟は木造三階建てのまま、二〇一四年に国の登録有形文化財になった。部屋は全部で十六。和室が十二、和洋室が四つ。

通された和室は庭に向いていた。三百坪の日本庭園で、午後の日は庭の奥から斜めに入り、畳の縁に細い光を置いていた。志賀直哉が『暗夜行路』にこの庭を書いたと、宿の栞にある。志賀直哉は大正二年の十月、この宿に三週間ほど逗留した。その滞在から『城の崎にて』が生まれた。栞はそこまでを短く記して、次の頁はもう外湯の地図だった。私はその割合をいいと思った。

縁側に座って、庭を見た。緑がいくつも層になって、奥の高い木の名前は分からなかった。分からないままでいい木もある。手前の百日紅だけは分かった。紅の花が、緑の中でそこだけ盛りだった。

この宿に露天風呂はない。内湯がふたつあるだけで、湯は町で浴びる決まりになっている。城崎は七つの外湯を巡る温泉街で、宿は客に浴衣と下駄を渡して、夕方、通りへ送り出す。渡された浴衣は糊が効いていて、袖を通すと肩のところで乾いた音がした。

下駄の音

夕刻、玄関へ下りた。三和土に下駄が揃えてある。先客に六十代くらいの夫婦がいて、私は端の一足に足を入れた。鼻緒が左の親指の股に少し強い。指で緩めていると、帳場の人が外湯の案内を渡してくれた。

奥さんのほうが、どの湯から回るかを教え合う流れで、こちらを向いた。

「お一人? いいわねえ。お子さんは、もう大きいの」

いません、と私は言った。それだけにした。あら、と奥さんが言った。その後の間は、埋めなかった。隠してもいない。ただ、そこまでにした。案内を帯に差して、会釈をして、外へ出た。夕方の川風が袖を通った。

通りは下駄の音でできていた。石の上では乾いた音、橋の板の上では少し高い音になる。空はまだ明るく、山の際だけが色を落とし始めて、どこかでヒグラシが鳴いていた。音の中に、ひとりだけ音の少ない男がいた。同じ浴衣で、同じ速さで歩いているのに、下駄がほとんど鳴らない。橋のたもとで別の流れに逸れていった。

画像はイメージです

七つの湯を全部回る人もいる。私はひとつでいいと決めて、川に近いのを選んだ。脱衣所の籠に浴衣を畳んで入れ、熱めの湯に肩まで沈むと、玄関のやり取りは湯気の向こうへ退いた。私は湯の熱さのことだけを考えて、それも途中でやめた。上がって髪を拭き、外に出ると、山の色が一段深くなっていた。

夕食は食事処の平八郎で、一品ずつ運ばれてきた。皿が空いてから、次が来る。但馬の魚と野菜、牛がひと皿。地酒は但馬杜氏の酒が九十ミリリットルの単位で頼めた。九十は、ひとりの夜にちょうどいい数字だと思った。ひとつの銘柄を、九十だけ飲んだ。

部屋に戻って、布団の脇の灯りで本の続きを読んだ。この町の名の付いた一篇の手前まで読んで、カバーを挟んだ。障子は少し開けておいた。庭は輪郭だけになっていて、遠くでまだ下駄の音がしていた。誰かが湯から戻る音。誰かがこれから行く音。区別のつかないまま、眠くなった。

帰りの川

朝、内湯にひとりで浸かった。木の窓の向こうで庭の緑が明るくなっていくのを、湯の中から見ていた。朝食も平八郎で、やはり一品ずつ来た。部屋に戻って障子を開けると、朝の光が庭の緑を薄い色から順に並べ直していた。百日紅は昨日と同じところで咲いていた。当たり前のことを、少しの間、見ていた。

宿を出て、駅まで歩いた。朝の通りに下駄の音はない。柳の影が昨日より短い。同じ道でも、逆に歩くと別の道になる。

きのさきに乗ると、円山川は左の窓に付いた。葦の岸。鷺は今朝はいなかった。川は今日も流れて見えなかった。文庫本は残り三分の一で、開かずに膝に置いた。かわりに手帳を出して、九月の欄を見た。祝日はふたつ。並びは七月ほどよくない。それでも指は先の頁をめくっていた。十月、十一月。まだ何も書いていない欄が続くのを、確かめるだけ確かめた。

手帳を閉じて、窓の外の、流れて見えない川を見た。

この続きに

PR 宿を予約する 城崎温泉 三木屋 別の小説 名前をつけない庭
有希の記録をすべて見る →

この宿を訪れた、別の語り手

Field Notes

城崎温泉 三木屋

Overview

兵庫県
Region
兵庫県豊岡市(城崎温泉)
Access
東京駅から新幹線のぞみで京都約2時間15分→特急きのさき約2時間25〜40分で城崎温泉駅→徒歩約15分。合計約5時間
Price
中〜高価格帯(1泊2食・2名約60,000〜77,000円)

Facility

Room
和室12室・和洋室4室の全16室。昭和2年築の木造建築(東館は木造3階建)、2014年に国登録有形文化財
Meal
会席料理を一品ずつ食事処「平八郎」で提供(夕・朝とも)。冬期は津居山がに、但馬牛など但馬の食材。地酒は但馬杜氏の酒を90ml単位で提供

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 文化財の宿
  • 外湯めぐり
  • 文豪ゆかりの宿

向いている人間

  • 志賀直哉『城の崎にて』誕生の宿という文学的事実を求める人
  • 登録有形文化財の木造建築・日本庭園のある小規模宿を好む人
  • 外湯めぐりを軸に滞在したい人

向いていない人間

  • 露天風呂・客室露天を求める人(露天なし)
  • 部屋食を前提とする人(食事処提供)
  • 駅近を重視する人(徒歩約15分)

予約前の注意事項

露天風呂なし。食事は食事処「平八郎」提供。無料送迎バスは12:30〜18:00着の特急対応のみ(要事前連絡)。チェックイン15:00〜18:00