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桁を三度数えた朝
月曜の午前十時四分に、着金の通知が来た。僕は銀行のアプリを開いて、桁を三度数えた。三度とも同じだった。六年と四ヶ月かけた会社の値段が、画面の上では一行だった。数字は読めた。読めた以上のことは、起きなかった。
クロージングの書類には先週のうちに署名を済ませてある。電子署名は全部で三十一箇所。押すたびに完了率のバーが伸びて、最後は100%と表示された。会社を作った日には、そういう表示は出なかった。最後の一箇所を押した瞬間、腕のデバイスは心拍七十二を記録していた。平常値。六年が終わる瞬間の数値として妥当かどうか、僕には判定の基準がなかった。
課題。僕は疲れている。解決。会社を売った。効果測定。——睡眠スコアは、譲渡契約の前後で61から動いていない。
火曜、歯医者の予約をまた延期した。右下の奥歯には三ヶ月前から仮の蓋が入っていて、舌で触ると縁がわずかに立つ。治す時間なら、今週から無限にあるはずだった。
腕のバンドは二年で伸びきって、外れそうで、外れない。緩むたびに穴を一つ詰めて、僕はそのつど締め直してきた。外すのは風呂と充電のときだけで、外した腕の置き場所を、いつも少し探す。
心拍変動は三週連続で下がっている。施策は打ってあった。呼吸のアプリを夜十分。カフェインは十四時で打ち切り。サプリを二種。それでも午前二時に目が開く夜は減らなかった。水曜の午前二時、僕は天井を見るのをやめて、リング型の新しいデバイスを注文した。腕ではなく、指で測るやつだ。届くのは週明けになる。
「で、来週からどうするの」と妻が言った。 「ロードマップを引き直す」と僕は言った。単位のない答えだと、言ってから気づいた。 妻は麦茶のグラスをコースターに戻した。音はしなかった。その置き方が何の表明なのか、僕には読めなかった。読めないものの前で、僕はいつも黙る。
木曜の夜、予約サイトを開いたまま寝落ちして、金曜の朝に信州の宿を一泊だけ押さえた。ローカル線の終点から徒歩五分。送迎なし。チェックインは十五時から十八時。決め手はその三時間の枠だった。締切のなくなった週に、締切が一つできた。
五百三十二日
土曜の朝、東京駅から北陸新幹線に乗った。上田まで、切符の上では一時間二十八分。梅雨の明けた光がホームの端で照り返し、車内は冷房が効きすぎていた。家を出たとき、デバイスの残量は八十四%だった。鞄の底には折り畳み傘が入っている。三年持ち歩いて、一度も開いたことがない。降水確率を見てから家を出るからだ。それでも抜かない。
高崎を過ぎると、トンネルを抜けるたびに窓の光から湿気が抜けた。上田のホームに降りると、乾いた熱が首筋に触れた。東京の熱と成分が違う。数値にすれば同じ気温で、同じではなかった。
乗り換えは数分で済んだ。上田電鉄別所線、二両編成、終点まで約三十分。前の晩に経路を調べていて、一つの数字を読んでいた。この線は発車してまもなく、千曲川を赤いトラス橋で渡る。大正十三年に架けられた橋だ。二〇一九年の台風で一径間が川に落ち、五百三十二日のあいだ、電車はここを渡れなかった。全線がつながり直したのは、二〇二一年の三月二十八日。
五百三十二日。僕は癖で月に直した。十七ヶ月半。ランウェイなら、会社が一つ終わる長さだ。直したところで、何が分かるわけでもなかった。電車は橋にかかり、僕は渡り終えるまでを数えた。二十秒。鉄骨の赤が等間隔に窓を流れ、隙間ごとに川が光った。
向かいの席に、男が一人座っていた。川ではなく、膝の上の黒い手帳に何か書いていた。橋を渡り終えたころに顔を上げて、それきりだった。
塩田平に入ると、車窓は水田の緑で満ちた。ため池がところどころで光を返す。鎌倉のころに栄えた土地で、「信州の鎌倉」と呼ばれているらしい。電車は各駅に律儀に停まり、終点に着いた。別所温泉駅。レールはホームの先の車止めで終わっていて、その先がない。路線図の端まで来たのがいつ以来か、思い出せなかった。
改札を出ると、硫黄の匂いがした。匂いには単位がない。濃度を言えないまま、坂を上るほど濃くなるのだけが分かった。
実測四分五十五秒

駅から宿までは徒歩五分とある。歩いて計ったら四分五十五秒だった。公称値との誤差一・七%。こういう検算をしている自分を、坂の途中で一度だけ持て余した。
旅館花屋。大正六年の創業で、建物は宮大工の手で普請されてきたという。約六千五百坪の敷地に木造の棟が千五百坪ぶん点在して、その八割が登録有形文化財になっている。帳場で名前を書いたのは十五時十一分。仲居の後について渡り廊下を歩くと、床が一歩ごとに鳴った。音が均一でない。規格という言葉が、この建物のどこにも当たらない。
通された和室は庭に開いていて、蝉の声が途切れなかった。浴衣に替えて、デバイスを見る。残量二十三%。充電器は鞄に入れてきた。畳の隅で充電を始めると、緑のランプが一つ点いた。
洗面所に、宿の歯ブラシが置いてあった。家の引き出しには、こうして持ち帰った歯ブラシが二十本ある。使わない。捨てられない。理由は自分でも数値化できていない。
ドームの下
大浴場は二つある。大理石の風呂と、若草風呂。夕方、僕は大理石の方へ下りた。脱衣所でデバイスを外す。左手首の内側に、日に灼けていない皮膚が白い帯で残っていた。腕が軽い。軽さに、数字が付かない。

浴室は石造りで、天井がドームに持ち上がっていた。高い窓のステンドグラスから夕方の光が色を分けて落ち、湯口の音が丸い天井を回っている。単純硫黄泉のかけ流し。湯は縁から絶えず溢れ、溢れた分だけ注がれていた。歩留まりという言葉を思い浮かべて、当てはまらないので置いた。湧く量が決まっていて、溢れる量も決まっている。最適化の余地がない。余地のなさの中で、呼吸だけが深くなった。
首筋に指を当てて、脈を数えかけた。三十まで数えたところで、湯口の音に負けた。
湯の中で、いつもの構文を組もうとした。課題。解決。——課題の欄が、埋まらなかった。埋まらないまま、のぼせる手前まで浸かっていた。
夕食は部屋出しだった。会席の器が一品ずつ運ばれ、僕は品数を数えていたが、椀物のあたりで見失った。窓の外で庭がゆっくり青くなり、蝉の声は、気づいたときにはもう終わっていた。何時に終わったのか、言えなかった。妻に「着いた。飯がうまい」と送った。返ってきたのは風鈴の絵文字が一つで、意味は取れなかった。取れないまま、画面を伏せた。
夜、木の建物は小さく鳴り続けた。冷えて縮む音らしい、と見当がついたのは布団に入ってからだ。午前二時に目は覚めなかった。覚めたのは三時十一分で、畳の隅の緑のランプを見ているうちに、スコアの予測を立てる前にまた眠った。
復路二十一秒
朝食は和定食で、卵の料理を三種から選べた。比較の軸を立てかけて、立たないまま出汁巻きにした。軸なしで決めるのは、たぶん六年ぶりだった。
チェックアウトの後、安楽寺まで歩いた。木立の奥に八角三重塔が建っている。建立は一二九〇年代。禅宗様の建築では国内最古で、長野県で最初の国宝になった塔だという。黒い木の八角形が、蝉の時雨の中で静止していた。七百年強、と僕は癖で直した。直した数字は、塔の前ではただの数字だった。しばらく見上げて、角は数えなかった。
デバイスは満充電で腕に戻っている。白い帯の上に、いつもの重さが、いつもより分かった。
別所温泉駅に戻ると、二両編成が車止めの手前で待っていた。終点から乗る客に、急ぐ理由がない。電車は来た道を戻り、千曲川の橋にかかった。復路も数えた。二十一秒。往きより一秒長い。誤差だ。誤差だと分かっていて、週明けには指で測る新しいのが届く。赤い鉄骨の隙間ごとに川が光り、僕はその一秒ぶん、長く見ていた。
