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インクを替える
目が覚めるのは、六時前だ。会社に行かなくなって五年になるが、私の目だけは、まだ会社の時刻に覚めている。変わったのは、そこから先の朝の長さだった。
湯を沸かし、茶を淹れ、新聞を隅まで読む。それでもまだ八時にならない。朝とはこんなに長いものだったのかと、五年経ったいまでも思う。
勤めていた頃、朝は狭い廊下のようなものだった。通り抜けるだけの場所だ。いまは広間になっている。広すぎて、どこに立てばいいのか、最初の一年は分からなかった。
旅に出る前の日は、万年筆のインクを替える。コンバーターを抜いて、水を張った小鉢でペン先を洗う。水が藍色に濁り、ゆっくり渦を巻く。乾かして、新しいインクを吸わせる。この手つきだけは、速くならない。速くする理由がない。
藍の壜は、よく減る。黒の壜は、もう何年も減らない。宛名を書く相手が、年ごとに減っていくからだ。それ以上のことは考えない。壜の口を拭いて、棚に戻す。
机の抽斗に、旅の記録帳がある。三冊目になる。行った先、天気、乗った列車、食べたもの。誰にも読ませない帳面だから、誰かに読ませるつもりの速さでは書かない。一画ずつ、置くように書く。一日ぶんより多くは書かない。帰ってから何日も書き続けると、帳面の中の旅が、本物より長くなってしまう。書き足したいことが出てきても、それは明日の仕事に回す。そう決めている。
時刻表を読むのは、勤めていた頃からの癖だ。従うためではない。頁の中に、知らない土地の朝と夜が並んでいる。それを読む。東武線の頁で、浅草という始発駅の名に目が止まった。特急の欄には、朝から夕方まで数字が絶えず並んでいる。どれに乗ってもいい、という並びだった。梅雨明け前の、雨を含んだ杉の山を思った。日光、と決めた。
貯えの帳面も、同じ抽斗にある。半年に一度、年金の通知書と並べて計算をする。先月、その計算を済ませたばかりだった。旅費の欄に日光と書き込むと、支度の半分は済んだ気がした。
行き止まりから出る列車
浅草の駅は、古い百貨店の建物の二階にある。改札の先で、線路は行き止まりになっていた。終着の形をした駅から出発する。悪くない。大きな駅の長い通路もない。切符を持って十歩あるけば、もう先頭車両の前にいる。
帳面には九時の特急と書いてきた。窓口に立つと、一本前に席が空いている。それに乗った。時刻表は読むものであって、守るものではない。
白い車体で、窓が大きい。発車して一分ほどで、列車は隅田川を渡る。鉄橋が低く鳴った。雨上がりの川面が、白い雲を映している。渡り終えるともう下町の屋根が続いて、都会というものは、出てしまえば案外早く済む。
茶を買いに通路を立ったとき、若い女の人が席で眠っていた。電話を握ったまま、指だけがまだ画面の上に残っている。疲れた眠り方だった。起こさないように通った。
北千住、春日部。窓の緑が増えていく。稲は雨を含んで重い。下今市で線路が二つに分かれ、列車は日光へ登る左側を選んだ。杉が近くなる。霧が窓を撫でる。浅草から二時間足らずで、終点の東武日光駅に着いた。山の入口の小さな駅で、降りると、空気に川の温度が混じっていた。
霧の奥の木造

駅前からバスに乗る。窓の外、宮へ向かう通りには、雨上がりの傘を畳んだ人の列が続いていた。五分で神橋に着く。朱塗りの橋の下を、大谷川が白く、速く流れている。梅雨をひと月ぶん集めた水の色だ。橋を見上げる人の輪に背を向けて、短い坂を登った。三分ほどで、木造の建物が霧の奥に現れる。
日光金谷ホテル。明治六年の創業だという。現存する日本で最も古いリゾートのクラシックホテルで、本館も新館も別館も、竜宮と呼ばれる棟も、国の登録有形文化財になっている。もっとも、そういうことは、着いてしまえば脇に退く。霧の中で、古い木の建物が灯りをつけている。それで足りた。
玄関を入ると、床が鳴らない。木の階段は、踏み板の中央だけ色が淡かった。長い年月、同じ場所ばかりを靴が踏んできた跡だ。右の膝が梅雨のあいだ少し硬いので、手摺に手を置いて登る。磨かれた木が、掌に吸いつくようだった。登りきると、二階の廊下は、窓ごとに霧の濃さが違って見えた。
部屋は洋室で、窓の外は杉と霧だけだった。浴室はシャワーだけだが、困らない。茶を淹れて、椅子に掛け、長いこと窓を見ていた。夕食まで、まだ二時間ある。二時間を何にも割り振らずに置いておけるようになるまで、五年かかった。家の午後と同じ長さのはずなのに、ここでは長さが、重さにならない。
一日ぶんだけ書く
夕食は、メインダイニングでとった。天井が高く、柱の上に木の彫刻が載っている。フランス料理のコースで、味は歴代の料理長から受け継がれてきたものだという。ナイフの音が、高い天井に吸われて消えていく。皿と皿のあいだが、ゆっくりしている。スープの皿が引かれて次の皿が来るまで、窓の外の霧を見ていた。急かされない食事は、それだけで献立のひとつだと思う。
離れた席で、若い男の人がひとりで食事をしていた。皿と皿のあいだに手帳を開いて、何か書きつけている。疲れの溜まった顔だった。この歳になると、若い人のそういう顔がよく見える。声はかけない。書いている人に、かける声はない。
食後、デイサイトという名のバーに寄った。勤めていた頃、酒は量だった。いまは時間で飲む。一杯だけを長く置いて、琥珀の中で氷が鳴るのを、鳴り終わるまで聞いていた。
部屋へ戻る廊下に、古い写真が掛かっていた。明治の頃、イザベラ・バードという英国の旅行家が、この宿の前身の金谷カテッジインに泊まり、『日本奥地紀行』に書き残したのだという。アインシュタインも、リンドバーグも、この廊下を歩いた。昼間、坂の下の通りを埋めていた人の声は、もうどこにもない。夜の宿は、木の艶が灯りを返すだけの場所になる。
部屋で、記録帳を開いた。日付。天気。隅田川の雲の色。下今市の分かれ道。夕食の皿の数。一画ずつ、置いていく。
書きながら、指が止まった。先月の計算の数字が浮かんで、こういう旅があと何回できるのか、と数えはじめている。年に三度なら、十年で三十回。二十年なら――
ペンを置いた。数は書かなかった。今日のぶんは、ここまでにする。キャップを嵌めると、小さく乾いた音がした。
灯を消す。杉の匂いのする闇だった。
朝のパン
目が覚めると、霧が晴れかけていた。廊下にパンの焼ける匂いがしている。館内にベーカリーがあることは、匂いのほうが先に教えてくれた。

朝食はアメリカン・ブレックファストで、オムレツは巻きが薄く、端まで同じ厚さだった。トーストは耳から食べる。耳がいちばん好きだという、それだけのことだ。食堂の窓から晴れかけの光が斜めに入って、卓の銀器を鈍く光らせている。
食後、坂を降りて、朝の参道を歩いた。石畳はまだ濡れていて、杉の匂いが濃い。店はどこも戸を閉てたままで、人はまだ少ない。開く前の門前町は、ただの山あいの道になる。宮までは行かない。川の音が届くところまで歩いて、引き返した。
発つ前に、ベーカリーでパンを一斤だけ買う。焼きたてではないのに、袋の口から朝の匂いの残りがした。
神橋のあたりには、もう人が集まりはじめていた。バスに乗り、特急に乗る。帳面に書いた一本より、早いのに乗った。窓の外がまだ緑のうちに帳面を開き、屋根が増えるころに書き終えた。今日のぶんは、それでしまいになる。隅田川を渡り返すころには、川は街の川の顔に戻っていた。
家に着くと、夕方だった。パンを切り、明日の朝のぶんを皿に伏せておく。記録帳を抽斗に戻す。
万年筆のインクは、まだ半分残っている。ペン先を拭いて、抽斗を閉めた。
