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一周忌
九月の第二週に、一周忌があった。同期だった。入社の年から数えて、四十二年の付き合いになる。会場で、私は十七人と挨拶をした。数えたわけではない。あとで思い返すと、十七人だった。そのうちの三人が、体の話をした。二人が、次はどちらが先かという冗談を言った。冗談の形をしていた。私は笑った。笑ってから、外に出て、しばらく立っていた。
帰りの電車で、時刻表を開いた。持ち歩いている。読むのが好きなだけで、従ったことはない。従わないから好きなのかもしれない。四国の頁を開いた。松山まで行ったことがない。四十二年勤めて、出張は北と東ばかりだった。西は、名古屋で止まっていた。
翌週の火曜に、宿を取った。道後の、昭和十二年創業という宿だった。昭和十二年。私の父が生まれた年の、二年後になる。
市内電車
松山までは、行き方が幾通りかあった。私は、時間のかかるほうを選んだ。理由は、急ぐ用がないからである。用がないことを理由にできるようになったのは、この四年のことだ。
松山駅から、市内電車に乗った。二十五分ほどと聞いた。車内は、学生が多かった。制服の色が、私の知っている色とは違う。当然だ。四十年経っている。窓の外に、路面の線路が続いていた。線路が道路の中を通っているのを、久しぶりに見た。
道後温泉駅で降りた。駅舎が古い形をしている。復元だと後で知った。そこから、坂を上がった。五分もかからない。かからないが、荷物があると、少し息が上がった。上がった息を、駅の方角を振り返って整えた。

部屋
十九室だと聞いた。通された部屋には、窓が二方向にあった。片方から、屋根が見えた。下のほうに、湯の街の屋根が並んでいる。本館は、坂の下にある。道後温泉本館というのが、あの有名な建物である。歩いて行ける。行こうと思った。思って、荷を解いて、茶を淹れて、座った。座ったら、立たなくなった。
夕食は部屋に来た。運んでこられた方が、お品書きを読み上げてくださった。読み上げの速さが、ちょうどよかった。速すぎると聞き取れず、遅すぎると気詰まりになる。食べ終えるまでに、二度、外を見た。一度目は明るく、二度目は暗かった。そのあいだのことを、私はよく覚えていない。覚えていないほうがいい時間というものが、ある。

湯
大浴場へ行った。アルカリ性単純温泉だという。癖がない。癖がないのは、悪いことではない。湯の中で、足の指を広げてみた。左の親指の付け根が、少し硬い。去年からだ。痛くはない。硬いだけだ。医者に行くほどではないと自分で決めて、そのままにしてある。決めたのは去年の秋で、まだ変えていない。
脱衣所に、私のほかにひとり、身支度をしている男がいた。畳んだ上着の上に、黒い手帳が置いてある。旅先でも、仕事を離さない人なのだろう。私にも、そういう時期があった。長いあいだ、あった。
湯から上がって、廊下を戻った。途中の窓から、外が見えた。坂の下の街の灯りが、思っていたより少なかった。九時を過ぎていた。九時を過ぎると、温泉街も静かになるのだと思った。
坂
翌朝、十時に発った。本館へは、結局行かなかった。惜しいとは、思わなかった。坂を下りながら、そのことを考えた。現役のころなら、行っただろう。せっかく来たのだから、と。せっかく、という言葉は、費用の言葉である。かけた金と時間に、見合うものを回収する。回収しなくてよくなったのは、いつからか。坂を下りずに済ませた日が、旅のうちに一日あってもいい。
道後温泉駅で、市内電車を待った。ベンチに、若い男が座っていた。膝の上に鞄を抱えて、うつむいている。顔色が悪かった。声はかけなかった。かけない、と決めているわけではない。ただ、かけたことがない。電車が来た。男が先に乗った。私も乗った。
松山駅で、私は改札を出て、時刻表を開いた。次の行き先は、決めなかった。決めずに、四国の頁だけ、しばらく読んでいた。従うためではなく、読むために。
