作家が、確かに来た宿
文豪ゆかり、という言い方は距離を書きません。同じ宿なのか、同じ温泉地なのか、同じ県なのか。ここの二軒は、志賀直哉が逗留した三木屋と、川端康成が歌を残した長寿館で、同じ温泉地の別の宿ではありません。
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「ゆかり」では、近いのか遠いのか分からない。
その語の中身から確かめます。文豪ゆかりの宿、という言い方をよく見ます。ゆかり、という語は距離を書きません。同じ宿なのか、同じ温泉地なのか、同じ県なのか。そのどれでも、ゆかりは成り立ちます。
ここでは、その語を使いません。名前を先に書きます。
志賀直哉が逗留したのは、城崎温泉の三木屋です。川端康成が歌を残したのは、法師温泉の長寿館です。
この二軒は、その人が実際に足を運んだ宿そのものです。同じ温泉地の別の宿ではありません。
二軒しかありません。滞在先が一次資料か公式資料で確認できる宿だけを残すと、この数になります。
作品そのものが、記録になっている
- 城崎温泉 三木屋 兵庫県豊岡市(城崎温泉)
志賀直哉が大正2年10月に約3週間逗留。庭300坪は『暗夜行路』に書かれています。一人での宿泊は受けていません。
東京から約5時間 一人 三万円台前半〜(2名1室の1名分・夕朝食付)
大正2年8月、志賀直哉は東京で山手線の電車にはねられました。療養を要する怪我でした。
2か月後の10月に向かった先が城崎温泉で、宿は三木屋であり、逗留は約3週間に及んで、4年後の大正6年に『城の崎にて』が発表されました。舞台はこの温泉街です。
客室が面する300坪の庭は、『暗夜行路』に書かれています。
宿を裏づけているのは、作品そのものです。観光の紹介文を経由しません。
この軸で選ぶと、その宿と作家のあいだに何が挟まっているかが予約の前に分かります——作品そのものなのか、宿の属する会の記録なのか、それとも観光の紹介文なのかです。
分けたのは、記録がどこにあるかです。作家の知名度でも、作品の大きさでもありません。
宿の属する会の記載に、歌が残っている
- 法師温泉 長寿館 群馬県利根郡みなかみ町
川端康成が訪れ、歌を一首残しました。日本秘湯を守る会の公式記載に伝わります。
東京から約2.5時間 一人 二万円台半ば〜(1名1室・夕朝食付)
川端康成は法師温泉 長寿館を訪れ、歌を一首残しました。湯のことだけを詠んだ三十一文字で、景色にも料理にも触れておらず、その歌は、日本秘湯を守る会の公式の記載に伝わっています。
裏づけているのは、宿が属する会の記録です。観光サイトの紹介文ではありません。
来訪は川端に限りません。与謝野晶子は夫とともにこの宿を訪れ、若山牧水も来ていると伝わります。晶子も牧水も歌人です。歌の宿と呼びたくなるところですが、宿の側にその種の看板はありません。
そして法師乃湯には湯口がありません。湯は湯船の底、敷き詰められた玉石の隙間から湧きます。足元湧出と呼ばれる形式で、源泉の真上に湯屋が建っていることを意味します。湧く場所は動かせません。だから建物のほうが湯に従いました。明治の木造が湯の真上にあるのは、その順序の帰結です。
浴場は混浴が基本で、女性専用の時間は二十時から二十二時までと定められています。文人が歩いた建物がそのまま使われているということは、当時の造りの制約もそのまま残っているということです。
二軒しかない理由
確認できなかった宿は、名前を挙げて、載せなかった理由を書きます。
文化財の宿 新井旅館には芥川龍之介が大正のころ泊まったという話が流通していますが、この媒体の記録の本文はそれを「予約したあとの検索で読んだ」と書いていて、出典の記録されていない二次情報です。
信玄の湯 湯村温泉 常磐ホテルには井伏鱒二や松本清張や山口瞳の名が流通していますが、調査の記録が残っておらず、出典を示せません。皆美館には島崎藤村をはじめ文人墨客が訪れたという記載がありますが、個々の逸話と滞在期間は未確認のまま置いてあります。
数を八軒に合わせるために、この三軒を足すことはしません。
足せば見た目は揃います。揃ったぶんだけ、載っている二軒の意味が薄くなります。

どの部屋かは、分かっていない
二軒とも、その人がどの部屋にいたかは分かっていません。
三木屋については逗留の時期と期間と、そこから生まれた作品までが分かっていて、分かっていないのは、庭のどちら側の、何畳の部屋だったかです。長寿館は歌が残っているだけで、訪れた時期も、泊まったのかどうかも、記録の形では出てきません。
建物のほうも、そのときのものとは限りません。
作家が実際に見た建物そのものに泊まりたい読者には、三木屋は向きません。現在の建物は昭和2年築で2014年に国の登録有形文化財となったもので、志賀直哉が大正2年に泊まった建物ではありません。志賀はその後もこの宿に滞在していますが、どの滞在がどの建物だったかまでは辿れません。
長寿館には他の歌人の来訪も流通していますが、出典を確認できていません。ここでは川端の歌一首だけを書きます。
記録が止まるのは、そこまでです。三木屋の客室は300坪の庭に面していて、その側の戸を開ければ庭は見えますが、志賀が見たのがその角度だったかどうかは分かりません。分からないまま、庭は毎朝明るくなります。
建物の来歴は、人を外しても辿れます。登録の有無で見るなら文化財の棟で眠る宿、年で見るなら創業した年が分かる宿があります。
建物は建て替えられる
逗留は約3週間。発表までは4年。歌は一首。数えられるのは、そこまでです。
建物は建て替えられます。湯の湧く場所は、動かせません。
城崎の湯は町のもので、浴衣に着替えて7つの外湯を巡る構造はいまも変わっておらず、法師乃湯には湯口が無く、湯は湯船の底の玉石の隙間から足の裏へ上がってきます。
作家が入ったのと同じ建物ではありません。同じ場所から出てくる湯には、触れられます。
そこまでが記録で、その先は、湯に入った人の側にしか残りません。