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付箋
時刻表の北海道の頁に、付箋を挟んだままにしていた。五か月、そのままだった。挟んだ日には、行くつもりでいた。
その五か月に何があったかは、手帳を見れば分かる。区の健診が一日。歯科が四日。同期の墓に一日。あとは白い。繰らなくても、厚みで分かる。
四時半に目が覚める。年々早くなる。湯が沸くのを、台所で立って待つ。座って待つほどの時間ではない。立って待つ朝が、五か月続いた。
今日、付箋を沖縄の頁へ移した。移しただけで、切符は買っていない。
「今度はどこ」と妻が聞いた。聞かれること自体が、珍しかった。返事に、間が空いた。行き先を決めていなかったからではない。聞かれると思っていなかったからだ。「沖縄」と答えると、少し間があって、「紅型の柄のものを、何か一つ」と言われた。
その晩、便を取った。宿は、海の見える一軒を選んだ。妻が海を見たいと言ったことは、一度も無い。
飛行機は、私一人で乗る。膝の悪い妻は、今回も控えると言った。
空路
羽田から那覇まで、二時間四十五分。時刻表を出して、沖縄の頁を眺めた。

那覇空港からは、レンタカーで九十分だという。高速を降りると、道の両側にさとうきび畑が続いた。本州の畑とは、緑の色が違って見えた。
名嘉真荘
宿に着くと、案内された部屋に半露天風呂があった。海が見えた。
帳場で、奥さまのぶんの土産はお決まりですか、と聞かれた。紅型を、と答えた。
どんな柄がお好きですか、と聞かれた。
答えがなかった。妻がふだん何色のものを身につけているか、一つも出てこない。帳場の人は、宿帳の私の名前のところに指を置いたままでいた。
明るいほうです、と言った。
湯に浸かって、紅型の色を考えた。

ロビーで、男が一人、時刻表くらいの厚さの冊子に付箋を一枚貼っていた。貼ってから、少し上へ貼り直した。私はその前を通った。
夕食は付けなかった。会席の付く泊まり方は、今回の勘定の外に置いた。年金と貯えを頭の中で足しはじめて、途中で放った。
和朝食
朝、和朝食が出た。妻がいたら、写真を撮ったかもしれない。私は撮らなかった。
食事の後、売店で紅型を一枚ずつ手に取った。二種類あった。細かいほうと、粗いほうである。細かいほうを窓の光に透かして、それから粗いほうを透かした。透かすと、どちらも同じ明るさになった。二枚を並べて、また戻した。ここには二種類しか無かったので、買わずに出た。
紅型
那覇空港で、搭乗まで一時間あった。売店に、紅型の柄の小物入れが六つ並んでいた。
明るさで選ぶのはやめた。妻が台所で使っている布巾の柄を思い出そうとして、出てこない。代わりに、玄関の傘立ての横に何年も掛かっている手提げの柄が出てきた。細かい格子である。
格子に近いほうを一つ取って、勘定に出した。妻に頼まれたのは、これが初めてだった。頼まれること自体が、勤めをやめてから、無くなっていた。
袋は鞄に入れず、膝の上に置いた。搭乗の列が動きはじめるまで、そのまま持っていた。
