本記事はアフィリエイト広告(じゃらんnet)を利用しています。
追記
AIが出した校正結果に、私が赤を足す。その形の仕事を、春から数えて何件受けたか、もう正確には言えない。十件は超えている。
単価は少し上がった。上がったぶん、量が増えた。増えたぶん、一件あたりに使う時間は減った。減った、というより、減らした。そのほうが合うからだ。
次の一件は単価ではなく、赤を入れたい文章かどうかで選ぶ。そう決めたのは春で、決めた相手への返信は、下書きのフォルダに入ったままになっている。出していない理由を、私はうまく言えない。言えないので、しばらく開いていない。
その週のゲラに、宮崎の温泉の話が出てきた。書き手は宿の名前を二度書いていて、一度目と二度目で送り仮名が違っていた。私は赤を入れた。入れながら、名前のほうを憶えてしまった。
二酸化炭素濃度千三百ppm以上、とその原稿にはあった。単位の表記は統一されていなかったので、そこにも赤を入れた。数字は、そのまま頭に残った。
眼鏡の右下に、小さな傷がある。去年からある。買い替えるほどではない、と毎回思って、毎回そのままにしている。
吉都線
羽田から宮崎まで飛んで、そこから鉄道を乗り継いだ。都城で吉都線に乗り換える。本数が少ないので、乗り継ぎを先に決めてから、飛行機の便を決めた。

一両の列車だった。刈り入れの前の田が、窓のすぐ下まで来ている。稲が重くて、穂の先が揃わずに垂れていた。揃っていないほうが、稔っているように見えた。
高原という駅で降りた。改札の外に、宿の名前を書いた紙を持った人が立っていた。予約のときに電話で確かめておいた。確かめておいてよかった、と思った。
車の窓から、山が見えた。稜線が二つ重なっていて、手前のほうが濃い。
持ち物
宿は十一室だという。廊下が短い。短い廊下の突き当たりに、離れへ渡る戸があった。
風呂へ行って、気づいた。石けんが無い。シャンプーも無い。無い、と書いてあるとおりに無かった。
予約の画面の設備一覧を、私は仕事の癖で最後まで読んでいた。読んで、必要そうなものを紙に書き出して、鞄に入れてきた。書き出したのは八項目で、そのうち六つを使った。

湯は二つあった。片方は冷たい。入ると、腕の産毛に細かい泡がついた。しばらくすると、泡は増えて、指でこすると離れた。もう片方は褐色で、こちらは温かい。冷たいほうと温かいほうを、交互に使うのだと教わった。
言われたとおりにやってみた。三度目で、肩の力の抜け方が変わった。
千三百
夕食の膳を運んできた人が、湯の話をした。天明の頃に見つかって、宿になったのは明治だという。年号で言われると、間の長さが分かりにくい。分かりにくいまま、聞いていた。
膳の隅に、小鉢が四つ並んでいた。四つとも大きさが違う。窯の違いなのか、揃えていないのか、私には分からない。分からないものを、分からないまま見ているのは、久しぶりだった。
食堂の隅で、一人の男が食べ終わっていた。手帳を開いて、閉じて、また開いた。二度目のとき、書かずに閉じた。
部屋に戻って、湯呑みを持ったら、糸底がざらついた。指の腹で二度なぞって、置いた。
千三百という数字を、私はまだ憶えている。原稿で見た数字が、湯の泡と同じものを指しているのだと、入ってから結びついた。結びついたが、それで何かが変わったわけではない。
揃わない
朝、冷たいほうの湯に、もう一度入った。泡は昨日より早くついた。気のせいかもしれない。
帰りの列車まで時間があって、駅の待合で鞄を開けた。持ち物の紙が出てきた。八項目のうち、使わなかった二つに、私は横線を引いた。
線を引いてから、この紙を次も使うつもりでいることに気づいた。気づいただけで、鞄には戻さず、上着のポケットに入れた。
東京に着いて、二日後に、春から取引のある編集者から短いメールが来た。仕事の話のあとに、一行だけ。最近、指摘の書き方が変わりましたね、とあった。
変えたつもりはない。返信には、そのことは書かなかった。
