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屋号
三月の末に、屋号を捨てた。十年使った名前だ。開業のとき、三日かけて決めた。捨てた理由は、ひとつではない。ひとつではないので、説明しない。
サイトを閉じた。名刺の残りは、束のまま引き出しに入れた。捨てなかった。捨てると、決めたことになる。
仕事は続けている。名乗り方だけが、いま無い。先方に何と言うか、毎回考える。フリーランスの、と言いかけて、屋号を言う癖が出る。出かけて、止まる。止まるたび、相手が少し待つ。その一秒が、いちばん疲れる。
四月の第二週、出雲へ行った。古民家を移築して使っている宿があると知ったからだ。移築。建物を、もとの場所から動かして、別の場所で建て直す。そういうことができるのだと、わたしは知識としては知っていた。ただ、知識としてだけ。
荘原
出雲空港からなら六分だという。わたしは鉄道にした。荘原という駅で降りて、十分歩く。荘原の駅は小さく、改札という形のものが、無かったように思う。
出て、田の中の道を歩いた。四月の初めで、水はまだ入っていない。土が乾いて、去年の株がそのまま立っている。歩きながら、名乗り方のことを考えた。考えて、やめた。やめられたのは、道に人がいなかったからだと思う。十分は、思ったより短かった。
天保、庄屋、明治
部屋の名前が、そういう名前だった。天保、庄屋、明治。移築してきた古民家を、離れの客室にしてある。名前はたぶん、もとの家の来歴から来ている。わたしが通されたのは、そのうちのひとつだった。
梁が、太い。太くて、黒い。二本のあいだを、目が先に測る。詰まっていない。この空きは、組んだ人が決めた空きだ。艶があるのは、煤と、手だと思う。長いあいだ煙に当たって、長いあいだ人が触った。
その梁は、もとの場所では別の高さにあったはずだ。移すとき、柱の一本ずつに番号をつける。どこの何番か。つけて、外して、運んで、また組む。組み直したとき、この梁は、前と同じ位置にあるのだろうか。同じかもしれない。少し違うかもしれない。少し違っても、梁は梁だ。

貸切、五つ
風呂が、貸切で五つあると聞いた。五つある、というのが少し可笑しかった。ひとつでは足りないのだろうか。足りないのだ、と後で思った。五つあれば、待たなくていい。待たなくていいとは、他の客の存在を意識しなくていいということだ。札を返して、入った。
源泉が百パーセントのかけ流しだという。湯が入ってきて、出ていく。湯の面に、窓の枠が映っていた。湯が動くと、桟の間隔が詰まって、また空いた。わたしの仕事は、枠を決めることだ。どこで切るか。何を入れて、何を出すか。十年、それを、屋号のもとでやってきた。屋号を外したいまも、枠を決める手は、変わっていない。

すゞ奈
夕食は、別の建物でとった。築百十一年の古民家を移してきたものだという。もとの場所で何年、ここで何年、という内訳は聞かなかった。聞けば教えてくれただろう。聞かなかった。
料理は創作の和食だった。器がひとつずつ違って、その違いに理由がありそうだったが、こちらも聞かなかった。どの器も、縁の白が広い。白を先に取って、それから盛る人の仕事だ。聞かないほうが、長く見ていられる。
離れた卓に、ひとりの客がいた。手帳に何か書いては、箸に戻る。疲れた顔だが、書く、置く、食べる、の間合いが崩れていない。食べながら、わたしは天井を見上げた。ここも梁が黒い。ここの梁も、どこかから来て、いまはここで天井を支えている。
白
チェックアウトは十時だった。朝、離れを出るとき、もう一度梁を見た。見て、写真は撮らなかった。憶えていられる分だけ憶えて、出た。
送迎は頼まず、歩いて駅まで戻った。来たときと同じ田の道で、土の色が少し濃い。夜に雨が降ったのかもしれない。音は、聞こえなかった。
荘原の駅のベンチで、電車を待ちながら、鞄から手帳を出した。新しい屋号の候補が、三つ書いてある。三月から、増えていない。上から読んだ。どれも、まだ違った。三つの下の白は、まだ広い。
携帯に、先方からの返信待ちが一件あった。名乗り方を決めてから返そうと、三日、置いてあったものだ。わたしは屋号の欄を空けたまま、返した。フリーランスの、志乃です。それだけ。出かけて止まる、あの一秒は、今度は無かった。
空けた欄は、埋めそこねた空白ではない。取らないと決めた、余白だ。
電車が来た。手帳の三つの候補には、線を引かなかった。消しもしなかった。白は白のまま、鞄に戻した。名前は、憶えていられる分ができてからでいい。
