宿と小説の読みもの、余白
RECORD № 023

再現された住居で、供給を待たない

他人の物語を燃料にして、自分の予定表の空白とどう向き合うか

予定表が埋まっているうちは、何も考えなくていい。遠征と配信で週末は先まで塞がっている。空白があると、もったいない、と思う。その「もったいない」が何を指しているのかは、まだ考えないことにしている。

悠真という語り手について →

本記事はアフィリエイト広告(Expedia・一休.com・じゃらんnet)を利用しています。

発表

三月十二日の十九時、公式から発表があった。活動休止、期間は未定。俺は会社のトイレでそれを読んで、便座に座ったまま五分いた。タイムラインは早かった。文字が上へ上へ流れて、追いつこうとして、途中でやめた。追いつく意味が、もう分からなかった。

家に帰って、部屋の壁を見た。アクスタが十七体、缶バッジが四十いくつ、ポスターが三枚。前に一度、正確に数えたことがある。いま、その数を思い出せない。七年やった。七年と言えば長そうなのに、七年前の自分がどんなだったかは、うまく思い出せない。推しがいなかった時期の記憶が、薄いのだ。その薄さが、発表の文面よりも怖かった。供給がなくなったとき、俺の生活に何が残るのか——その計算だけは、七年、ずっとしないようにしてきた。

翌週の金曜に有給を取った。行き先は決めていなかった。決めていない、という状態が久しぶりで、かえって落ち着かなかった。決め方が分からないので、いっそ遠いところにした。出雲。飛行機で行って、空港から車で十分の宿。全十室で、離れが古代高床式住居を再現しているらしい。宿代を見て、癖で換算しかけた。空路だから単位は遠征、名古屋の現場なら二回ぶん——と指を折りかけて、止まった。次の遠征が、ない。単位が、発表の日に失効している。換算できない値段を、俺は初めてそのまま払った。

去年の春の現場の円盤は、通しで二十何回か見た。二十三か、二十四か。同じ一日を、何度でも巻き戻せると思っていた。再現された住居に泊まるというのが、どういうことなのか、行ってみないと分からなかった。

出雲

朝の便で発って、搭乗口の売店でボトルのガムを買った。旅先では必ずボトルで買って、必ず余らせる。分かっていて買う。空港から車で十分。十分は短いのに、着いたときにはもう街から離れていた。窓の外は田んぼで、三月だからまだ水は入っていない。乾いた土が、ところどころ割れていた。花粉症の薬を東京の机に置いてきたと気づいたのは着陸してからで、いまのところ鼻は無事だった。

画像はイメージです

離れに通された。高床式で、柱が地面から床を持ち上げている。段を三つ上る。中は、ちゃんと泊まれるようになっていた。当たり前だ、泊まる場所なのだから。ただ天井が高く、上のほうは照明が届かずに暗い。俺はその暗がりを、しばらく見上げていた。実物を見た人間がひとりもいない住居を建てるには、柱の太さも床の高さも、残っていない正解を誰かがひとつずつ決めるしかなかったわけで、それは答え合わせのできない履修を最後までやり切るということで、じゃあ俺の七年はと言えば、正解が毎回向こうから供給される、答え合わせだけの履修だったんじゃないか——と、暗がりに向かって急に長く考えて、首が痛くなってやめた。例えが履修から出ないのは、我ながらどうかと思う。

夕方、廊下で客とすれ違った。宿の人ではない、地味な上着の男で、片手に黒い手帳を持って、歩きながら何か書いていた。目は合わなかった。何かの単位で世界を数えている背中に見えて、俺は少しだけ、親近感のようなものを持った。

数えない

夕食は古代食コースにした。古代の食を再現して、いま食べられるようにアレンジしてある、と説明された。再現とアレンジが、両方入っている。出てきたものは、うまかった。うまいと思ったとき、いつもなら反射でスマホを出す。出さなかった。合う語が、なかったからだ。誰に見せるんだ、とも思った。見せる相手は、これまでもいなかった。ただタイムラインに流していただけで、その流す先が、いま少し静かになっている。

部屋に戻ると、発表から九日が経っていた。九日。数えていた。数えないようにしようと思って、結局、数えている。

貸切

貸切の風呂が二つあって、空いているほうに入った。源泉が百パーセントのかけ流しだという。かけ流し、という言葉の意味を、俺は今日まで正確には知らなかった。湯が入ってきて、そのぶん出ていく。溜めない。溜めないから、いま俺が浸かっている湯は、一分前の湯とはもう違う。同じ湯には、二度は入れない。円盤みたいに巻き戻せない湯に、俺は肩まで浸かっていた。出るとき足首に、入ってきたばかりの湯が当たって、そこだけ温度が高かった。指の腹がふやけて皺になるまで、長くいた。

画像はイメージです

朝の田

翌朝、離れの窓から田を見た。昨日と同じ田なのに、朝は土の色が濃い。夜のあいだに湿ったのだと思う。チェックアウトは十時で、本館と離れで時刻が違うと言われた。空港までの車で、運転手さんが、この辺は四月に水が入るんですよ、と言った。四月に水が入り、それから苗を植える。順番が決まっている。決まった順番があるのは、悪くないと思った。この七年、順番はいつも向こうが決めてくれていた。

飛行機の座席でスマホを開いた。癖で、タイムラインを上へ送る指が動く。九日前より、ずっと静かだった。みんな、それぞれの生活に戻っている。俺は開いたメモに、「四月、出雲、水」と打った。打ってから、その三語が自分でもよく分からなかった。次の遠征を入れる欄に、供給のない予定を、初めて一件だけ入れた。また来るかどうかは、分からない。来て、水の入るだけの田を見て、何になるのかも分からない。分からないまま、消さずに残した。

東京に着いて、電車に乗り換えた。壁のアクスタのことを、少しだけ考えた。数えなかった。数えなかった、というより、今日は数えなくても、平気だった。

この続きに

読み続ける

行き先は、このサイトの中です。

この宿を

予約はこのサイトの外へ、後で送る一通は自分のメールへ届きます。

PR この記録の宿を予約する 神話が息づく出雲ノ国 古代ロマンの宿 松園 予約サイト(じゃらんnet)が新しいタブで開く (外部サイトが新しいタブで開きます) PRExpediaでも空室を見る(新しいタブで開く)(外部サイトが新しいタブで開きます)

この頁の場所を、自分のメールへ一通送る

便り

次の話が公開されたとき、一通だけ届きます。

Field Notes

神話が息づく出雲ノ国 古代ロマンの宿 松園

Overview

島根県
Region
島根県出雲市斐川町(出雲)
Access
出雲空港より車で約10分。最寄り駅からのアクセスは公表されていない
Price
予約サイトで確かめた三万円台半ば〜(1名1室・夕朝食付) 2名1室での実測二万円台半ば〜(2名1室の1名分・夕朝食付) 公開の情報から中価格帯(夕朝食付2名税込 四万円台後半〜)

Facility

Room
全10室。本館(モダン和室 / モダン和洋室 / スタンダード和室)と、古代高床式住居を再現した離れ「宇夜都弁」
Meal
古代の食を再現した古代食コース。ほかに会席コース、出西窯の食器を使うコースもある

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 離れの宿
  • 貸切風呂の宿
  • 小規模宿

向いている人間

  • 古代高床式住居を再現した離れに泊まりたい人
  • 古代の食を再現したコースに関心がある人
  • 源泉100%かけ流しの湯を貸切で使いたい人
  • 全10室の規模で他の客と動線が重なりにくい環境を求める人

向いていない人間

  • 公共交通で自力到達したい人(空港から車が前提)
  • 19時より遅くチェックインしたい人
  • 温泉街の散策を楽しみたい人

予約前の注意事項

チェックイン時刻は本館と離れで異なり(本館15:00〜19:00 / 離れ16:00〜19:00)、チェックアウトも部屋タイプにより11:00と10:00がある。最寄り駅からのアクセスは公表されていないため、公共交通で向かう場合は事前に確認を。一人でも取れるが、1名で出るプランは、じゃらんも一休も1件だけである(2名ならじゃらん14件・一休14件。2026-08-27実測)。料金は変動する。

次の話

新しい記録が公開されたときだけ、一通お知らせします。
それ以外のメールは届きません。

メールアドレス以外は受け取りません。配信はいつでも解除できます。 取り扱いはプライバシーポリシーのとおりです。