本記事はアフィリエイト広告(一休.com・じゃらんnet)を利用しています。
聞かれなかった
妻の実家の集まりがあった。盆でも正月でもない、親戚の誰かの快気祝いだった。僕は、次はどうするのと聞かれる場面を、何度か頭の中で用意していた。用意した答えは、三通りあった。
誰も聞かなかった。
集まりが終わって、駐車場で妻の車を待つあいだ、僕は用意した三通りの答えを、どれも使わなかったことに気づいた。使わなかったことに、少し落胆していた。落胆する資格が自分にあるのか、それも分からなかった。
古民家
翌日、島根の宿を取った。古民家を移築した離れがあるという。妻に見せると、行こう、とだけ言った。理由は聞かれなかった。僕も言わなかった。
出雲空港から車で六分だった。近さに、少し拍子抜けした。もっと遠いところへ行きたかったのかもしれない。遠さと、聞かれなかったことの関係を、考えかけてやめた。

五つの貸切風呂
貸切の風呂が五つあると聞いた。一つで足りないのかと思ったが、五つあるということは、待たなくていいということだった。妻と、別々の時間に入った。
湯へ向かう渡り廊下で、客が一人、すれ違った。空いている風呂の札を、指で数えながら歩いていた。
湯から上がって、部屋の前の廊下で妻とすれ違った。すれ違うとき、妻が、快気祝いのお祝い、何にしたんだっけ、と聞いた。品物の名前を、僕はすぐに出せなかった。出せなかったことに、妻は何も言わなかった。

すゞ奈
夕食は、移築した別の古民家でとった。梁が黒い。料理は創作和食で、器がひとつずつ違っていた。
「聞かれなかったね」と、妻が言った。今日のことだと分かった。「聞くことがなくなったのか、聞かないほうがいいと思われたのか」
僕は答えなかった。答えを持っていなかった。妻も、それ以上は聞かなかった。
六分
翌朝、送迎の車で空港まで六分だった。妻が、窓の外を見ながら、来年も呼ばれるといいね、と言った。
来年、という言葉の重みを、僕はうまく量れなかった。量ろうとして、やめた。量らなくていいことも、あるのだと思った。思っただけで、口には出さなかった。
