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RECORD № 032

六つのうちの、ひとつ

選ばなかった人生を説明しない、静かな肯定

子を持たない生き方を選んだ。その選択に至る道のりを、彼女は誰にも説明しない。説明しないことは、隠すことではない。他所の物差しで測られない生き方の練度を、静かに上げ続けている人。

有希という語り手について →

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四十九日

十月の第二週に、母の四十九日が済んだ。済んだ、という言い方をする。終わったのではない。済ませた。親族が十四人来た。兄が仕切った。私は受付をした。受付は、名前を書いてもらって、香典を受け取って、返礼を渡す。手順が決まっている。決まっているものが、あの日はありがたかった。

法要のあと、伯母が私の隣に座った。有希ちゃんも、これで一段落ね、と言われた。そうですね、と答えた。伯母は、それから、家のことを聞いた。母の家。私が育った家。兄と私で相続することになっている。売るの、と聞かれた。まだ決めていません、と答えた。伯母は、早いほうがいいわよ、空き家は傷むから、と言った。言われて、そうですね、とまた答えた。

答えながら、傷む、という言葉を考えていた。家は傷む。人がいないと傷む。いても傷む。

片付かない

母の家には、月に二度行っている。行って、片付ける。片付けるつもりで行って、二時間座って帰ることが多い。台所の引き出しに、輪ゴムが束で入っている。母は、輪ゴムを集める人だった。新聞に巻いてあったもの、野菜に巻いてあったもの。集めて、引き出しに入れて、使わなかった。私はそれを、まだ捨てていない。捨てる理由は、いくらでもある。使わない。誰も要らない。場所を取る。理由があるのに、捨てていない。

十一月の第一週、一泊で出かけることにした。伊豆高原の、六室しかない宿を選んだ。全部の部屋が離れになっている、と書いてあった。六つ。

八分

伊豆高原の駅から、タクシーで八分だった。送迎については、書いていなかった。書いていないので、タクシーにした。駅の周りには店があって、人がいた。改札の脇のベンチで、男がひとり、黒い手帳に何か書いていた。旅の人だろう。何を書いているのかは、知らない。知らないまま、私はタクシーに乗った。

八分は短い。短いが、その八分で、周りが変わった。八分走ると、木ばかりになった。別荘地なのだと思う。家はあるが、人の気配が薄い。門を入って、荷物を持って、自分の棟まで歩いた。隣の棟が、木の向こうに屋根だけ見えた。見えるが、中は見えない。その距離が、設計されている。

画像はイメージです

六つのうち

部屋に、露天風呂が付いていた。湯は、加温と加水をしていると書いてあった。かけ流しではない。書いてある。私は、書いてあるかどうかを見る癖がある。書いていないことのほうを、疑う。

湯に入って、木を見た。十一月の初めで、葉が色を変えはじめている。全部ではない。一本の木の中でも、南側から先に変わる。一枚ずつ違う。

夕食は、部屋に運ばれてきた。運んできた方は、置いて、説明して、下がられた。一人で食べた。食べながら、この宿には、いま五組の他の客がいるはずだと思った。六室のうち、私が一室。残りの五室に、それぞれ誰かがいる。その人たちが誰なのか、何をしに来たのか、私は知らない。知らないまま、明日帰る。六つのうちのひとつにいて、残りの五つを知らないままでいられる。

画像はイメージです

夜、もう一度湯に入った。木の向こうに、隣の棟の灯りが見えた。灯りは、途中で消えた。消えたあと、私はしばらく湯にいた。

伯母の言葉を、また思い出した。これで一段落ね。一段落。文章の区切りのことだ。区切ると、次の段落が始まる。始まっていない。始めなくていい、とは誰も言わない。みんな、始めるものだと思っている。

私は二十九のときに、子を持たないと決めた。決めたときのことを、誰にも説明していない。母にも説明しなかった。母は、一度だけ、聞かなかった。聞かなかったことを、私は覚えている。聞かない、というのは、何もしないことではない。

開けて、閉める

朝、木が昨日より色づいていた。一晩でそんなに変わるものかと思ったが、光が違うだけかもしれない。朝食も部屋に来た。十一時に発った。タクシーを呼んでもらって、駅まで八分。八分で、また店と人が戻ってきた。

電車の座席で、母の家の片付けのことを考えた。輪ゴムの引き出し。次に行ったとき、私はまた開けて、閉めるのだと思う。開けて、閉める。それを何度か繰り返して、いつか捨てるのかもしれない。いつかは、決めなかった。母は、私の決めないことを、一度も急かさなかった人だ。その急かさなさを、私は受け継ぐことにする。

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Field Notes

はなれ宿 善積

Overview

静岡県
Region
静岡県伊東市伊豆高原(南大室台)
Access
伊豆高原駅からタクシーで約8分。送迎の記載なし
Price
中〜高価格帯(2名税込 素泊48,240円〜、夕朝食付55,440円〜)

Facility

Room
全6室。全室が離れ。露天風呂付離れ客室(複数種類)、和室。内風呂付客室あり
Meal
部屋食

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 離れの宿
  • 露天風呂付き客室
  • 部屋食の宿
  • 小規模宿

向いている人間

  • 全6室・全室離れの構成で、他の客と動線が交わらない滞在を求める人
  • 食事を部屋で取りたい人
  • 客室の露天風呂または内風呂で湯を完結させたい人

向いていない人間

  • 源泉かけ流しを条件にする人(加温・加水あり)
  • 17時30分より遅くチェックインしたい人
  • 送迎を前提にする人(記載がなく、駅からタクシー約8分)

予約前の注意事項

温泉は源泉かけ流しではない(加温・加水あり)。チェックインは15:00〜17:30と幅が狭く、チェックアウトは11:00。送迎についての記載がないため、伊豆高原駅からはタクシー(約8分)を見込むこと。一人泊の可否は明記がないため予約前に確認が必要。料金は変動する。