宿と小説の読みもの、余白
RECORD № 053

数えなかった、十四語目

分類できないものを、分類できないまま持てるか

三十四歳。港区白金台に一人で住む。データ分析の会社を経営し、あらゆる対象を変数とパターンに置き換えて生きてきた。旅館だけは、事業にしないと決めている。出張の合間に行き先を毎回変えながら宿を巡り、そこですれ違った人々の話を、この場所に集めている。

黒瀬慧という語り手について →

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十三で止まっている

手帳の後ろから七頁目、十三で止まったまま四か月が経った。妙見温泉から帰って、十四語目を書こうとして、書かなかった日が何度かある。書かない理由を、私はもう作らない。以前は理由を作っていた。作らなくなったことが、変化なのかどうかは分からない。

名前のないページは、そのままだ。名前をつけなかった規則を、私は破った。破ったことを、まだうまく言葉にできていない。うまく言葉にできないことを、そのままにしておく。それも、以前の私にはなかった処理だ。

世界文化遺産の神社が鎮座する土地に、宿があるという記事を見た。丹生都比売神社。読み方を、最初に調べた。にうつひめ、と読む。神社は古い。宿は、調べると近年の建築だという。古い土地に、新しい建物が建っている。この組み合わせを、私はまだ分類できていない。

天野

新大阪から、地下鉄、私鉄、在来線と乗り継いだ。合計で四回、乗り換えた。橋本を過ぎたあたりから、山が近くなった。笠田という駅で降りた。無人駅だった。宿の送迎車が、時間通りに来た。予約制で、当日には頼めないという。段取りを要求する宿だった。

画像はイメージです

車で十五分、山を上った。天野という盆地に、突然、開けた場所が現れた。田んぼと、神社の森が見えた。

新しい木

宿は、コテージが四棟に分かれていた。案内された部屋は、木の香りが強かった。新しい木の匂いだった。古民家を移築した由布院や鹿児島の宿とは、違う匂いだった。

新しい木の匂いを嗅いで、由紀のことを思い出した。彼女は、新しい机を買ったとき、表面を手のひらで何度もこすっていた。早く古くしたい、と言っていた。早く古くする、という言い方の意味を、私はそのとき聞かなかった。聞けば、説明が返ってくる。説明が返ってくれば、私はそれを分析してしまう。分析すれば、彼女がこすっていた手の動きだけが、消える。だから聞かなかった。

この部屋の木も、いずれ古びる。古びるまでの時間を、私は待たない。今日、一晩だけここにいる。

貸切の湯

貸切の風呂に入った。部屋の風呂は温泉ではないと、案内に明記されていた。温泉でないことを隠さずに書く宿は、多くない。隠さない理由を、掲示は説明していなかった。説明がないことに、以前なら不安を感じた。今日は、感じなかった。

画像はイメージです

湯に浸かりながら、神社のことを考えた。千年以上、同じ場所にある。宿は、今年で四年目だという。時間の長さが違いすぎる二つのものが、同じ土地にある。違いすぎることを、比較する必要はない。比較しない、という選択を、私は初めて自分から選んだ気がする。

十四語目

夕食は創作和フレンチだった。熊野牛のコースがあった。地元の食材の名前が、皿ごとに添えられていた。フランスの技法と、和食の食材。これも、組み合わせだった。組み合わせを、もう分類しようとしなかった。

夜、手帳を開いた。名前のないページを見た。十三の項目の下に、何か書こうとした。「新しい木の匂い」と書きかけて、やめた。書きかけて、やめること自体は、以前もあった。今回は、やめた理由が分かっている。急がなくていい、と思ったからだ。

数えなかった

朝、もう一度貸切の湯に入った。夜より、湯の温度が低く感じた。

笠田駅まで送迎車で戻り、在来線、私鉄、地下鉄、新幹線と乗り継いで、東京へ戻った。

車内で、手帳を開いた。「新しい木の匂い」は、まだ書いていなかった。書くかどうかを、今日も決めなかった。決めなかったことに、以前は落ち着かなさがあった。今回は、なかった。

十四語目を、数えなかった。数えなかったことに、家に着いてから気づいた。

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Field Notes

山荘 天の里

Overview

和歌山県
Region
和歌山県伊都郡かつらぎ町(天野)
Access
南海高野線橋本駅またはJR和歌山線笠田駅から、宿の無料送迎(要事前予約・定員4名・当日予約不可)またはタクシーで約15分
Price
予約サイトで確かめた七万円台半ば〜(1名1室・夕朝食付) 2名1室での実測六万円台前半〜(2名1室の1名分・夕朝食付) 公開の情報から高価格帯(夕朝食付1名税込七万円台後半〜。スイートは八万円台後半〜)

Facility

Room
コテージ型4棟・全8室。スーペリア(半露天風呂付・定員1〜2名)、モデレート(屋内風呂・定員1〜2名)、スイート(半露天風呂・定員1〜3名)ほか
Meal
夕食は創作和フレンチ(天野米・高原野菜・熊野牛等の地元食材使用)。朝食の具体的内容は未確認

宿タイプ

  • コテージ型の宿
  • 離れの宿
  • 貸切風呂の宿
  • 世界文化遺産の鎮座する土地

向いている人間

  • 静けさとプライバシーを重視する人
  • 高野山参詣と組み合わせて宿泊したい人
  • 創作フレンチとワインを楽しみたい人

向いていない人間

  • 源泉かけ流しにこだわる人(温泉は貸切風呂3か所のみで加温・かけ流しではない。客室の半露天風呂は温泉ではない)
  • 歴史的建造物・古民家の趣を求める人(建物は近年建築のコテージ型)
  • 未就学児連れ(宿泊不可)

予約前の注意事項

温泉として入れるのは貸切風呂3か所のみで、加温・かけ流しではない。客室の半露天風呂は温泉ではない。大浴場はない。最寄り駅からは公共交通の便が限られ、要事前予約の無料送迎(当日予約不可)かタクシー利用が事実上必須。12月〜3月15日は高野山への送迎運休。

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