宿と小説の読みもの、余白
RECORD № 118

七百八十円

走った街を一つも憶えていない働き方から、どう降りずに離れるか

自転車で街を走って生きている。先週の走行距離はアプリが憶えているが、通った道は一つも憶えていない。店の名前ではなく、番地と入口の形で街を憶える癖がついた。休む日を自分で決められる働き方のはずが、決めているのは単価と天気だと、うすうす気づいている。

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係数

一月は雪が降る。

雪の日は、単価が上がる。あたしの仕事では、雪は金になる。

十二月の最後の週から、係数の乗る日が続いた。乗るから走った。走ると、指が動かなくなる。手袋の中で、親指だけ先に冷える。ブレーキは人差し指で握れる。動かないのは親指のほうだ。

一月の第二週に、一件遅れた。三階まで階段で、鍵の受け渡しがある建物だった。着いたのは、指定の時刻の九分あとだった。

アプリの数字が一つ下がった。時間内に着いた割合である。九十七から、九十四になった。

三ポイント。走った件数でいうと、たぶん十件ぶんくらいの重さがある。

戻し方は、走るしかない。時間内に着き続けるしかない。時間内に着くには、速く走るしかない。速く走ると、雪で滑る。

その夜、宿を探した。一泊、一万九百七十二円。

一名にすると、部屋が二件出た。二名なら十八件ある。二件のうち一つを押した。

陸羽東線

古川で乗り換える。陸羽東線は、前に一度、反対の端まで乗ったことがある。あのときは山形のほうまで行った。今回は途中で降りる。

同じ線でも、降りる場所が違えば、別の線みたいに見える。

画像はイメージです

窓の外が白くなった。田んぼが雪の下にあるはずだが、どこからが田んぼか分からない。分かるのは、電線の位置だけだ。

車内のアナウンスが、雪のため徐行します、と言った。

三分遅れた。三分は、あたしの仕事だと、遅れのうちに入らない。入らないが、車掌は謝った。

鳴子温泉で降りた。ホームに雪が積もっていて、通れるところだけ、四角く除けてある。

温泉街

宿は駅から歩ける場所にあった。温泉街の中に建っている。

道は雪だが、店の前だけ、それぞれ雪が寄せてある。寄せ方が店ごとに違う。角をきれいに立てている店と、丸く押しやってある店がある。

あたしは、寄せ方のほうを見ながら歩いた。入口の形で街を憶える癖は、雪の日でも働く。

帳場で名前を言って、部屋に入った。二件のうちの一つである。窓は、隣の建物のほうを向いていた。温泉街の真ん中の窓である。

湯は下の階にあった。熱い。入ると、指の先がじんとして、それから痛くなった。親指がいちばん痛い。冷えていたところから順に痛くなるのだと思う。

痛みが引くまで、しばらくかかった。引いてから、あたしはやっと湯に入っている感じがした。

画像はイメージです

夕食は広間で、卓が離してあった。膳の隅に、名前の分からない漬物が二種類あった。二種類とも食べた。

隣の卓に、男が一人いた。食べ終わって、卓の上を片づけるでもなく、湯呑みを持ったまま窓のほうを見ていた。窓の外は、たぶん壁だった。あたしの部屋と同じ側だったから。

三分

夜、雪が強くなった。

窓を開けると、音がしない。雨は音がする。雪は、降っている音がしない。

明日の朝、電車が動かなかったらどうなるのか、と考えた。考えて、アプリを開いた。稼働できる地域の外です、と出る。当たり前だ。

雪で止まるのは、あたしの側では起きない。雪が降れば、走る。止まるのは、線路のほうだ。

同じ雪が、向こうでは金になり、こちらでは足を止める。

止まったら、どうするのだろう。宿はもう一泊できるのか。次の日の稼働はどうなるのか。数えかけて、数える材料がないことに気づいた。まだ止まっていない。

七百八十円

朝、電車は動いていた。八分遅れて着いて、八分遅れて出た。

古川で乗り換えて、新幹線に乗った。窓の外の雪が、南へ行くほど薄くなって、途中から地面が見えた。

東京は降っていなかった。

家に帰って、自転車を出した。出したが、乗らなかった。地図を開いて、ピンを一つ出した。

名前は「歩く」と入れてある。自分で入れた。角の定食屋で、店の名前はまだ知らない。ピンを立ててから、何か月も経っている。

歩いて行った。十四分だった。自転車なら四分の角である。

引き戸に、手書きの品書きが貼ってあった。日替わり、七百八十円。前に見たときと同じ額だった。

入った。カウンターに座って、日替わりを頼んだ。

出てきたのは、焼いた魚と、味噌汁と、小鉢が二つだった。食べているあいだ、店の人は何も聞かなかった。どこから来たのかも、初めてかどうかも。

食べ終わって、七百八十円を置いた。

出るとき、引き戸の上に看板があるのを見た。字が薄い。読まずに出た。

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Field Notes

源蔵の湯 鳴子観光ホテル

Overview

宮城県
Region
宮城県大崎市鳴子温泉(鳴子温泉郷)
Access
東北新幹線で古川駅へ、JR陸羽東線に乗り換えて鳴子温泉駅まで。鳴子温泉街の中心にあり、駅から歩ける。車は東北自動車道・古川ICから国道47号を山形方面へ。駐車場は宿泊者無料
Price
予約サイトで確かめた一万円台前半〜(1名1室・条件不明) 公開の情報から中価格帯(Reluxの1名1室で一万円台前半〜。もう一つのプランは一万円台半ば)

Facility

Room
大人1名・1室の検索で部屋2件・プラン2件(2名の検索では部屋18件・プラン10件)。1名で出る部屋は2名の9分の1
Meal
食事の付くプランがある。予約の段階で選ぶ

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 老舗宿
  • 温泉街の宿

向いている人間

  • 1泊を1万円台前半に収めたい一人客
  • 温泉街の中心に泊まって歩いて回りたい人
  • 駅から歩いて着ける宿を選びたい人

向いていない人間

  • 部屋を選びたい一人客(1名で出る部屋は2件。2名なら18件)
  • 静かな一軒宿を求める人(温泉街の中心にある)
  • 冬に確実な足を求める人(陸羽東線は雪で遅れることがある)

予約前の注意事項

大人1名・1室で出る部屋は2件、プランも2件だけ(2名なら部屋18件・プラン10件)。その2件が埋まっていれば、その日は一人で取れない。冬は陸羽東線が雪の影響を受けることがあるので、帰りの便に余裕を見ること。料金と食事条件はプランで分かれるので、予約の段階で確かめること。

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