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一行
私は時刻表を読むのが好きで、従うのは好きではない。
読むというのは、選ぶことではない。並んでいるのを、端から端まで見ることだ。この便に乗ればここで乗り換えられる、と分かったところで、その便には乗らない。
予約の画面で、人数を一名にした。部屋の欄が、一行になった。二名のときには、十行あった。写真が十枚並んで、広さが書いてあって、値段が並んでいた。一名にすると、そのうちの一つだけが残る。
部屋の欄でも、同じことをするつもりでいた。端から見ようとして、端が無い。
それでも、取った。一行あれば、取れる。
湯が二つある、と書いてあった。部屋は一つしか選べないのに、湯は二つある。それで決めた。
十二月の二十日である。二十日にしたのは、年賀状を出し終えたあとだからだ。
年賀状は、去年と同じ枚数を買った。書きはじめて、二枚余った。余った理由は分かっている。余った二枚を、机の引き出しに入れた。引き出しは、開けるときに一度引っかかる。引っかかるのを、直していない。
身延線
新宿から甲府まで出て、そこで乗り換える。下部温泉まで、合わせて二時間二十分ほどだった。
甲府から先は、川に沿って南へ下る。線路は単線で、行き違いの駅で三分ほど停まった。向かいのホームに、上りの二両が入ってきて、それが出てから、こちらが出た。

三分のあいだ、私は窓の外を見ていた。ホームに人はいない。駅名の標識と、その下に、この駅を通る列車の時刻が書いてある。数えると、上りが九本、下りが八本だった。
十七本。一日に、十七回だけ、この場所に電車が来る。
下部温泉で降りた。降りたのは、私を入れて二人だった。
二つの湯
宿は松林のなかにあった。
帳場で、朝食は何時になさいますか、と聞かれた。七時からと、八時からがあるという。
どちらでも、と答えた。
上りが九本、下りが八本。行きの駅で数えた数は出てくる。七時か八時かは、出てこない。
「では、七時半でいかがでしょう」と言われて、帳面に書き込まれた。七時にも八時にも無い時刻だった。
庭のなかから湧いている湯と、離れたところから引いてきた湯。泉質が違うのだと、宿の紙にある。
湧いている湯のほうへ、先に行った。ぬるい。長く入っていられる。窓の外は木で、木の影が湯の面に落ちて、風が吹くと、影のほうだけが動いた。

引いてきた湯のほうは、熱かった。同じ宿の中で、これだけ違う。同じ湯だと思って入ると、体が驚く。
私は驚いてから、少し笑った。
引いてきた湯の脱衣籠に、脱いだものが一つ残っていた。畳んであるが、袖が一方だけ外に出ている。私が上がるまで、取りに来る人はいなかった。
夕食は膳だった。食べながら、娘のことを考えた。
先月、娘に誘われて、宮城の宿へ行った。行き先も日取りも、娘が決めていた。帰りの新幹線で、私は時刻表を娘の膝に置いた。読むだけでいい、と言った。娘は笑って、受け取った。
まだ返ってこない。
返してくれ、とは書いていない。書かないほうを選んでいる、というほど強い気持ちでもない。ただ、書いていない。
部屋へ戻って、時刻表を出そうとした。鞄の中を探して、無いのを思い出した。娘のところにある。それでも、もう一度探した。二度目も無かった。
番号
朝、湧いているほうの湯にもう一度入った。
十時に部屋を出た。鍵を返すとき、部屋の番号を見た。三桁の数字である。
帳場を出て、玄関で靴を履きながら、私は手帳を出した。万年筆のインクは、青のままにしてある。
書いたのは、その三桁だけだった。
一人で取れる部屋は、この宿にはこれ一つしかない。次に来るとしても、選ぶことはできない。
書かない名前が、私の手帳には一つある。一度も書いていない。書く番号ができたのは、久しぶりだった。
十七本
帰りの駅で、時刻表の標識をもう一度見た。
行きに数えたときと、同じ十七本である。当たり前だが、確かめた。
上りの列車が来るまで、十九分あった。ベンチに座って、待った。待つのは、苦にならない。
若い人が一人、同じベンチの端に座った。荷物が大きい。私は見ていたが、声はかけなかった。
列車が来て、二人とも乗った。車両の中は空いていて、私たちは別々の窓側に座った。
川が、行きと反対の側に見えていた。
