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任意
手のひらで測る癖が、まだ残っている。
去年の冬に、雪の壁の高さを、手のひらを窓に当てて測った。自分の背丈が何回入るかを見た。三回と、少し。数えたのではなく、合わせただけだった。
あれから、僕は時々そうしている。棚の高さ。ドアの幅。人の背。合わせて、だいたいを知る。
問題が一つ出た。単位がないと、前より良いかどうかが分からない。
睡眠スコアは数字で出る。六十四が五十八になれば、下がったと分かる。手のひらで測ったものは、先週の手のひらと比べられない。比べられないので、良くなったのかどうかが分からない。
分からないというのは、僕がいちばん避けてきた状態である。
一月に、山形の宿を取った。
案内を読んで、手が止まった。最寄り駅には新幹線が停まらない。山形駅かかみのやま温泉駅で降りて、そこからバスか車で入る。宿は、その二つの駅のほぼ中間にある。
任意の駅で降りてください、と書いてあった。
任意、という語を、僕は久しぶりに見た。
中間
僕は両方の所要時間を調べた。調べる前から、たいして違わないだろうと思っていた。思っていて、調べた。
山形駅から十七分。かみのやま温泉駅からも、同じくらい。
差がない。差がないものを、僕は十二分かけて調べた。

山形駅で降りた。理由は、新幹線の便がそちらのほうが一本早かったからで、それは十四分の差である。十四分のために、僕は山形を選んだ。
バスは市街を抜けて、田の中を走った。一月の田は雪の下で、道の両側だけが黒い。除雪した雪が、道の外側に土手のように積み上がっている。
高さは、バスの窓より少し低かった。手のひらは当てなかった。走っているバスの窓では、合わせられない。
黒沢温泉で降りて、五分歩いた。
鞄
部屋に入って、荷物を置いた。
腕のデバイスを、外した。
外して、机に置こうとして、置かなかった。去年の春に一度、リングを外して机に置いて、充電もしなかったことがある。あのときは、止めた。
今回は、止めなかった。外して、鞄の内ポケットに入れた。
測り続けている。腕にはない。鞄の中で、僕の睡眠ではない何かを測っている。
そのことに気づいたのは、湯から上がったあとだった。

湯は熱くも冷たくもない。窓の外は暗くて、雪が窓の下の縁に少し積もっていた。
夕食は下の階だった。米が白い。山形牛が少し出た。名前の分からないものはなかった。
離れた席に、男が一人いた。箸を置いたまま、天井のほうを見ていた。天井には何もない。あるとすれば梁だが、この宿の天井は平らである。何もないところを、その人はしばらく見ていた。
正しくない数字
朝、鞄からデバイスを出した。
一晩ぶんの記録が入っていた。心拍はほぼ一定で、動きはゼロに近い。眠りの深さは、最も深い段階が九時間続いたことになっている。
九時間。僕は七時間しか横になっていない。
鞄は、よく眠っていた。
消し方はある。手動で記録を削除する画面がある。開いて、削除の項目まで見て、閉じた。
消さなかった理由を書き出せば、三行になる。三行のうち二行は、たぶん嘘になる。
週の平均が、その一日ぶんだけ上がるか下がるかは、まだ計算していない。
十七分
帰りは、かみのやま温泉のほうへ出た。
来たときと違う駅を選んだ。差がないことを、僕は前の日に調べて知っている。知っていて、別のほうを選んだ。
バスは同じ田の中を、反対向きに走った。雪の土手は、行きに見た側が、今度は右にある。
かみのやま温泉の駅で、新幹線を待った。ホームに人は少ない。
デバイスは腕に戻した。戻したあとも、鞄の中の一晩は消えていない。アプリの記録には、僕が九時間眠った日として残っている。
残っているものを、僕は毎週の平均で薄めながら、これから何週間か持っていく。
改札のほうから、人が四人上がってきた。数えてから、数えたことに気づいた。
数えるのは、まだやめていない。
