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初校
受けると返事をした一冊の、初校が来た。
四百五十枚あった。段ボールではなく、宅配の袋で届いた。袋のまま机に置いて、開けるまでに二日かかった。
開けた。紙は思ったより白い。級数は本文十三級で、行間は広めに取ってある。読みやすくしてある、というより、読ませようとしてある組み方だった。
単価は、いままでの仕事の半分に近い。半分に近いので、いままでの仕事も、そのまま続けている。
続けている、というのは、減らせていない、ということだ。
機械が通したものに人の目で追記を足す仕事は、今月も十件を超えた。そちらは速い。速いので、量が入る。量が入るので、時間が減る。減った時間で、四百五十枚を読む。
三週目に、私は一泊することにした。
条件は二つだった。近いこと。安いこと。
以前、締切と締切のあいだの平日に、箱根の山の上まで登ったことがある。ケーブルカーを乗り継いで、値段も相応だった。あのときは、遠さそのものを買っていたのだと思う。
今回は、遠さを買う余裕がない。
五分
新宿から中央本線で、一時間半ほど。石和温泉という駅で降りた。
駅から歩いて五分と書いてあった。歩いた。五分だった。

二月の甲府盆地は、山が近い。畑は桃の木で、まだ枝だけである。枝の切り方が、どの畑もよく似ている。誰かが決めた形があって、それに揃えているのだと分かる。
宿は大きかった。玄関に人が多い。団体の札が二つ立っていた。
一名で取れる部屋は、一つしか出なかった。二名なら十ある。私は出た一つを取ったので、部屋を選んでいない。
太鼓
夕方、館内の掲示を読んだ。
毎晩、従業員による太鼓の会があると書いてある。時刻と場所が添えてあった。
静けさを求めて来たのではない。今回の条件は、近いことだった。だから、賑やかでも文句はない。文句はないが、私はそれを読んで、少し身構えた。
湯は広かった。人が多い。話し声が反響して、言葉としては聞き取れない。聞き取れない声は、私にはむしろ楽だった。誤植が目に飛び込むのと同じで、聞き取れる言葉は、勝手に直しにかかってしまう。

太鼓の会は、広間であった。私は端で立って見ていた。
打っているのは若い人が二人と、年配の人が一人だった。年配の人の手が、ほかの二人より小さく動く。動きが小さいのに、音は同じ大きさで出る。
見物の客のなかに、男が一人いた。手を叩かない。腕を組むでもなく、両手を下げたまま、打っている人の手のあたりを見ていた。終わっても、しばらく動かなかった。
一枚
部屋に戻って、鞄からゲラを出した。
一枚だけ持ってきていた。四百五十枚のうちの、二百十二枚目である。二百十二枚目を選んだ理由は、その日いちばん長く止まった頁だったからだ。
止まった理由は、誤字ではない。誤字はなかった。
三行目の終わりに、ひとつ言葉があった。私はその言葉を、これまで読んだことがない使い方で読んだ。作者はたぶん、意図してそう置いている。置いてあることに、私は昼のうちに気づいて、そこで止まった。
赤鉛筆を出した。
赤は、間違っているところに入る。間違っていないところに引いた線は、赤ではない。三十年近く、私はそう扱ってきた。
その言葉の下に、線を引いた。
短い線である。校正記号は付けなかった。付ける記号がない。
戻る
朝、湯にもう一度入った。人は少なかった。
十時に発って、駅まで五分歩いて、中央本線に乗った。行きと同じ席の側に座った。桃の枝が、逆の順に流れていく。
東京に着いて、その日のうちに、機械の追記の仕事を二件受けた。断らなかった。減らせていない。
ゲラの二百十二枚目は、束に戻していない。机の端に置いてある。
線を引いた箇所を、私は編集の人に伝えるつもりがない。伝えると、直す話になる。直すところではない。
置いてあるだけの一枚が、机の端で、少し反ってきた。
