宿と小説の読みもの、余白
RECORD № 045

一人であることの、必要経費

結果の出ない日々を、どういう制度で書き続けるか

宿を転々としながら小説を書いている。結果はまだ何も出ていない。書けない日の自分をどう扱うか、その決まりを自分で組み立てている途中で、まだ途中だ。

蓮という語り手について →

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割増

積善館から帰って、五か月が経った。公募の締切まで、半年ある。半年、という数字を、僕はいつも枚数に変換してしまう。四百字詰めで百二十枚として、一日一枚で百二十日。半年は百八十日あるから、六十日は余る計算になる。余る計算をしている時点で、まだ一枚も書いていない。

宿を探していて、祖谷渓の断崖に建つ一軒宿を見つけた。二名利用なら一人あたり二万五千円台。一人旅専用のプランだと、三万七千円。差額を計算せずにいられなかった。一万一千七百円。一室を一人で使うことの、値段だと思った。

高い、と思う自分と、それでも予約ボタンを押してしまう自分がいる。押した後、口座の残高を見た。日払いのバイトを一日増やせば足りる。足りる、と分かった瞬間に、もう行くことは決まっていた。

大歩危

岡山で乗り換えた特急南風は、渓谷に沿って走った。窓の外の岩肌が、だんだん切り立ってくる。この景色を、いつか何かに書けるだろうかと考えた。考えた時点で、景色そのものを見ることが、一拍遅れる。

画像はイメージです

大歩危駅から、バスに揺られた。三十五分。バスの座席の生地が、片側だけ擦り切れていた。運転席側の乗客がいつも同じ側に座る癖があるのだろう、と想像した。想像するくらいなら、書けばいいのだが。

ケーブルカー

宿に着くと、露天風呂へはケーブルカーで谷底まで下るという。片道百七十メートル、約五分。乗り込むとき、前の便を待っていたらしい男とすれ違った。使い込んだ革靴の、片方の踵だけが余分に減っていた。長年どちらかの足に重心をかけて歩く癖があるのだろう。ケーブルカーの扉が閉まる音を、何かを確かめるように一度だけ聞いてから、男は歩き去った。何を確かめていたのかは、僕には分からなかった。分からないまま、ネタ帳に「踵の減り方が違う男」とだけ書いた。

谷底の露天風呂は、川音がすぐそばだった。源泉かけ流しだという掲示があった。かけ流し、という言葉の響きが、一人旅プランの割増料金と、なぜか同じ質量に感じられた。どちらも、選んだ者だけが払う値段だった。

画像はイメージです

会席

夕食は祖谷そばと川魚の会席だった。一品ごとに、産地と調理法の説明があった。説明を聞きながら、頭の隅で今日使った金額を足していた。足しながら、こういう自分を、いつか小説の中で笑い者にしてやろうと思った。思うだけで、実際に書いたことはまだない。

制度を、また改定しようとしている自分に気づいた。一行書けたら湯に入る、という制度は、もう四版目になっている。改定するたびに、書く前に制度をいじる時間が増えている。

一行だけ

朝、もう一度ケーブルカーで谷底へ下りた。夜より水音が高く聞こえた。雨が降ったのかもしれない。

十一時前に発って、大歩危駅まで送迎バスで戻った。特急南風、新幹線と乗り継いで、東京へ戻った。

車内で、原稿用紙を開いた。制度を改定するのはやめた。今日は改定せず、一行だけ書いた。続きは書けなかった。書けなかった、と正直に手帳に記した。

三万七千円という数字を、財布の中で数え直した。高い買い物だったとは、もう思わなかった。一人であることには、値段がついている。それを、今日は悪くないと思った。

ネタ帳に書いた「踵の減り方が違う男」の一行を、もう一度見た。いつか何かになるかもしれない。ならないかもしれない。どちらでもいい、と初めて思えた。

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Field Notes

和の宿 ホテル祖谷温泉

Overview

徳島県
Region
徳島県三好市池田町(祖谷渓)
Access
JR大歩危駅から四国交通バス「祖谷温泉」行きで約35分、またはタクシーで約30分。ホテル送迎バスは1日1往復(要予約)
Price
予約サイトで確かめた三万円台後半〜(1名1室・夕朝食付) 公開の情報から中〜高価格帯(公式の一人旅専用プランは1名三万円台後半〜四万円台半ば・朝夕食付。同じ公式の2名1室利用時1名あたりは二万円台半ば〜四万円台前半)

Facility

Room
ツイン等の一般客室。全19室(公式・一休.com一致)
Meal
夕朝食付。夕食は地元産の川魚・山菜・祖谷そば・祖谷こんにゃくなど郷土食材の会席料理。「温泉ひとり旅プラン」は朝食を和食/洋食から選択可

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 一軒宿
  • 秘境
  • 露天風呂付き客室

向いている人間

  • 静かな環境で一人で執筆・思索したい人
  • 源泉かけ流し温泉を求める人
  • ケーブルカーでの温泉体験に抵抗がない人

向いていない人間

  • 予算を厳密に抑えたい一人旅の人(一人泊は37,000円〜と上振れする)
  • 足腰に不安がありケーブルカー乗降が難しい人
  • 公共交通のみで身軽に移動したい人(送迎バスは1日1便のみ)

予約前の注意事項

一人旅専用「祖谷温泉一人旅プラン」(公式のみ、37,000円〜43,600円・朝夕食付)は、同じ公式の2名1室利用時1名あたり(23,250円〜41,950円)とレンジが重なる。じゃらんには一人旅プランがなく(1泊で「ご利用できるプランがない」と表示・2026-10-12実測)、1名1室で予約できるのは公式サイトのみ。露天風呂へはケーブルカーでの片道約5分の移動が必須。

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