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割増
積善館から帰って、五か月が経った。公募の締切まで、半年ある。半年、という数字を、僕はいつも枚数に変換してしまう。四百字詰めで百二十枚として、一日一枚で百二十日。半年は百八十日あるから、六十日は余る計算になる。余る計算をしている時点で、まだ一枚も書いていない。
宿を探していて、祖谷渓の断崖に建つ一軒宿を見つけた。二名利用なら一人あたり二万五千円台。一人旅専用のプランだと、三万七千円。差額を計算せずにいられなかった。一万一千七百円。一人であることの、値段だと思った。
高い、と思う自分と、それでも予約ボタンを押してしまう自分がいる。押した後、口座の残高を見た。日払いのバイトを一日増やせば足りる。足りる、と分かった瞬間に、もう行くことは決まっていた。
大歩危
岡山で乗り換えた特急南風は、渓谷に沿って走った。窓の外の岩肌が、だんだん切り立ってくる。この景色を、いつか何かに書けるだろうかと考えた。考えた時点で、景色そのものを見ることが、一拍遅れる。

大歩危駅から、バスに揺られた。三十五分。バスの座席の生地が、片側だけ擦り切れていた。運転席側の乗客がいつも同じ側に座る癖があるのだろう、と想像した。想像するくらいなら、書けばいいのだが。
ケーブルカー
宿に着くと、露天風呂へはケーブルカーで谷底まで下るという。片道百七十メートル、約五分。乗り込むとき、前の便を待っていたらしい男とすれ違った。使い込んだ革靴の、片方の踵だけが余分に減っていた。長年どちらかの足に重心をかけて歩く癖があるのだろう。ケーブルカーの扉が閉まる音を、何かを確かめるように一度だけ聞いてから、男は歩き去った。何を確かめていたのかは、僕には分からなかった。分からないまま、ネタ帳に「踵の減り方が違う男」とだけ書いた。
谷底の露天風呂は、川音がすぐそばだった。源泉かけ流しだという掲示があった。かけ流し、という言葉の響きが、一人旅プランの割増料金と、なぜか同じ質量に感じられた。どちらも、選んだ者だけが払う値段だった。

会席
夕食は祖谷そばと川魚の会席だった。一品ごとに、産地と調理法の説明があった。説明を聞きながら、頭の隅で今日使った金額を足していた。足しながら、こういう自分を、いつか小説の中で笑い者にしてやろうと思った。思うだけで、実際に書いたことはまだない。
制度を、また改定しようとしている自分に気づいた。一行書けたら湯に入る、という制度は、もう四版目になっている。改定するたびに、書く前に制度をいじる時間が増えている。
一行だけ
朝、もう一度ケーブルカーで谷底へ下りた。夜より水音が高く聞こえた。雨が降ったのかもしれない。
十一時前に発って、大歩危駅まで送迎バスで戻った。特急南風、新幹線と乗り継いで、東京へ戻った。
車内で、原稿用紙を開いた。制度を改定するのはやめた。今日は改定せず、一行だけ書いた。続きは書けなかった。書けなかった、と正直に手帳に記した。
三万七千円という数字を、財布の中で数え直した。高い買い物だったとは、もう思わなかった。一人であることには、値段がついている。それを、今日は悪くないと思った。
ネタ帳に書いた「踵の減り方が違う男」の一行を、もう一度見た。いつか何かになるかもしれない。ならないかもしれない。どちらでもいい、と初めて思えた。
