宿と小説の読みもの、余白
RECORD № 057

差額、六千三百六十円

結果の出ない日々を、どういう制度で書き続けるか

宿を転々としながら小説を書いている。結果はまだ何も出ていない。書けない日の自分をどう扱うか、その決まりを自分で組み立てている途中で、まだ途中だ。

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差額

素泊まり九千五百四十円。夕朝食付き一万五千九百円。差額、六千三百六十円。

予約の画面を開いたまま、この引き算を三回やった。三回とも同じ数字が出た。当たり前だ。当たり前のことを三回やるくらいには、決めかねていた。

十月の締切まで、枚数が足りない。足りない、という言い方は正確じゃない。書けたぶんが少ない。少ないというか——まあ、いい。とにかく足りない。

日払いの現場を三日入れて、その三日ぶんで一泊できる。夕食を抜けば、四日目を入れなくて済む。六千三百六十円は、一日ぶんの食費よりは高い。それだけの理由で、僕は素泊まりを押した。

プランの名前に、百八十年前から残る部屋、と書いてあった。八畳一間。文政十年の創業だという。文政がいつなのか、僕はその場で調べた。一八二七年だった。

そこで書けるかどうかは、部屋のせいではない。分かっている。分かっているのに、そこなら書ける気がした。

ラビュー

池袋から特急に乗った。窓が大きくて、床まで景色がある。前の席に座った子どもがずっと窓に手をついていて、指の跡が五つ並んで残った。

飯能を過ぎると、線路が山に入る。トンネルの手前で、耳が詰まる。

画像はイメージです

西武秩父の駅前で、送迎を待った。十五時、十六時、十七時。三十分前に電話をください、と書いてあったので、駅に着いてすぐかけた。十六時の便に乗ります、と言った。声が思ったより低く出た。

ワゴンに乗ったのは僕を入れて三人だった。十分で山に入った。

八畳一間

通されたのは八畳で、床の間があって、天井の板が飴色だった。トイレは廊下。窓を開けると、下に川があるらしい音がした。

ノートを出して、机に置いた。机はなくて、座卓だった。座卓に置いた。

風呂へ行った。卵水と呼ばれているらしい。手のひらでこすると、指が滑って止まらない。源泉は十五度で、沸かして使っていると掲示にあった。循環している、とも書いてあった。書いてあることを、書いてあるとおりに読んだ。

貸切風呂は五十分で千八百九十円。今日の僕の勘定には入れていなかったので、大浴場に戻った。

上がって、ロビーを通ったら、本棚の前に男が立っていた。背表紙を端から目で追っていて、一冊も抜かなかった。抜かないまま、そこにいた。

卵水

部屋に戻って、書いた。二十行。それから止まった。

止まったのは、腹が減っていたからだ。夕食を抜いたのは僕の判断で、判断の結果として、二十行で止まった。ノートに「腹が減って書けない」と書いて、それは作品ではないので、線を引いて消した。消した線の下に、まだ字が読めた。

画像はイメージです

自販機に、カップの汁物があった。買った。二百円。差額の六千三百六十円から引くと、まだ六千百六十円が浮いている計算になる。計算をしている自分が、いちばん書いていない。

窓の外で、蜩が鳴いていた。夏の終わりの鳴き方を、僕は毎年、書こうとして書けない。今年も書けなかった。

十時に消灯した。消灯というか、僕が電気を消した。天井の板の木目が、暗くなってから少し見えた。

カツ丼

朝の送迎は九時五十分と十一時。十一時を選んだ。一時間十分ぶん、多く書ける計算だった。

実際には、八時に目が覚めて、九時までノートを開いて、九時から十時半まで湯に入っていた。湯の中では何も書けない。分かっていて入った。

十一時の便で駅まで戻って、駅前でわらじカツ丼を食べた。肉が丼から二枚はみ出していた。八百円くらいだったと思う。食べ終わって、店を出て、電車まで二十分あった。

ホームのベンチでノートを開いて、昨日の二十行の下に、一行足した。それから、ページの端に別のことを書いた。

「次は二食付きにする」

理由の欄をノートに作る癖はないけれど、その下に、書くために食う、とだけ書いた。続くかどうかは、十月に分かる。

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Field Notes

秩父七湯「御代の湯」 新木鉱泉旅館

Overview

埼玉県
Region
埼玉県秩父市(秩父七湯)
Access
西武秩父駅からタクシー約10分。予約制の無料送迎あり(西武秩父駅15:00/16:00/17:00発、秩父鉄道秩父駅はその後に回る。利用は30分前までに電話)。帰りは宿発9:50/11:00
Price
予約サイトで確かめた一万円台半ば〜(1名1室・夕朝食付) 2名1室での実測一万円台半ば〜(2名1室の1名分・夕朝食付) 公開の情報から中価格帯(夕朝食付2名1室で1名あたり税込一万円台半ば〜。1名1室は夕朝食付一万円台半ば〜、朝食付一万円台前半〜、素泊まり一万円に届かない)

Facility

Room
和室12室。8畳(バス・トイレなし)/12畳(バス・トイレ付)/12畳(露天風呂付)の3タイプ。8畳の一部は「180年前より残る歴史あるお部屋」としてプランに明記されている
Meal
夕朝食付・朝食付・素泊まりの各プランがあり、1名1室でも3種すべて選べる

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 老舗宿
  • 山間の宿

向いている人間

  • 素泊まり1万円以下で、温泉のある宿にこもりたい一人客
  • 創業1827年の建物に残る8畳間に泊まりたい人
  • 駅から送迎があり、車を持たずに山あいの宿へ入りたい人

向いていない人間

  • 源泉かけ流しにこだわる人(じゃらんnetの表記は「新木鉱泉(循環ろ過)」。源泉は約15℃の冷鉱泉で加温している)
  • 到着と出発の時刻を自由に決めたい人(送迎は往路3便・復路2便の定時制)
  • 貸切風呂を気軽に使いたい人(宿泊者限定で50分1,890円の有料)

予約前の注意事項

湯は循環ろ過で、源泉は約15℃の冷鉱泉を加温して使う。貸切風呂は宿泊者限定・50分1,890円の有料。送迎は予約制で、利用は30分前までに電話が要る。パジャマ・バスローブの備えはない。

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