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名前だけの行
手帳の右の欄に、自分の名前を書くようにしてから、何か月か経った。予定を書く欄だったところに、名前だけを書く。書いてどうするという話ではない。ただ、母の通院と施設の書類でその欄が埋まるのを、一度だけ止めたかった。
止めた。止めたところで、名前の下は空いている。空いたまま、ずっと。
先週の面会で、母が私の顔を見て、お世話になります、と言った。丁寧だった。声の出し方も、頭の下げ方も、昔のままだった。丁寧さだけが残っている。残っているものを数えるのは、もうやめた。
同じ日に、担当の職員が代わると聞いた。三年、同じ人だった。引き継ぎの紙を渡されて、名前と連絡先が印字してあって、私はそれを二回読んだ。
その紙を鞄に入れたまま、次の面会が二週間先になることに気づいた。二週間の、真ん中。そこに一泊だけ入るなら、片道三時間より遠くへは行かない。三時間で行けて、山の中。条件を二つだけ入れて探したら、茨城が出てきた。七室しかない宿だった。
水郡線
水戸まで特急で一時間ちょっと。乗り換えの水郡線は、水戸で先に時刻を調べておかないと待つことになる、と書いてあった。だから先に調べた。特急はそのあとで決めた。
一両の列車だった。ボタンを押してドアを開ける。制服の高校生が四人乗っていて、二駅で全員降りた。

窓の外に、稲。まだ刈っていない。畦に彼岸花が並んでいて、赤いところだけが連続して後ろへ流れた。
山方宿という駅で降りた。改札はなかった。タクシーで八分。運転手が「湯の澤さんね」と言って、それ以上は何も聞かなかった。
七室
道が細くなって、木が近くなって、宿が現れた。着いてから、ここが敷地の入口だったと知った。八万平米あるという。数字を言われても、広さが想像できない。
部屋は本館の和室で、トイレは廊下の先だった。荷物を置いて、廊下を歩いた。人と会わない。七室しかないのだから当たり前なのだけれど、当たり前が身体に届くまで少しかかった。
風呂は二つ。岩風呂と檜風呂で、時間で男女が入れ替わる。露天はない。
湯に入って、手の甲がしみた。三年ぶんの消毒が、まだそこにある。ひび割れの線に沿って、細く、鋭く。しばらく手を湯から出していた。それから、沈めた。
夕食に、そばが出た。常陸秋そばだと言われた。薬味のわさびを全部使ってしまって、あとで少し後悔した。
医者いらず
「医者いらずの湯、って言われてきたんですよ」
宿の人が、そう言った。百八十年、湯治場として続いてきたのだという。効くとも効かないとも言わずに、言われてきた、という言い方をした。その距離の取り方が、なんとなく、よかった。

夜、電波が弱かった。館内でも繋がりにくいところがあると、予約のときに書いてあった。書いてあったから知っていた。知っていたのに、廊下の端まで歩いて、繋がる場所を探していた。
繋がった場所で、施設からの不在着信に折り返した。新しい担当の人だった。声を知らない。書類の確認だけの短い電話で、最後に、いまどちらですか、と聞かれた。
「茨城です。温泉に」
言ってから、前の担当には三年間、一度も言わなかったことに気づいた。聞かれなかったからでもある。
いが
朝、敷地の中に散策路があると聞いて、歩いた。主人が自分で手入れしているのだという。踏み固めた土に、栗のいがが落ちていた。まだ青い。蜘蛛の巣に露がついて、朝の光で線が見えた。
坂を少し上がって、下りた。往復で二十分くらい。歩き終えて、靴下が片方裏返しだったことに気づいた。昨日からだった。
支払いは現金だった。カードは使えませんと、予約の画面にも書いてあった。財布の中でちょうど足りて、少し安心した。
帰りの水郡線を待つあいだ、手帳を開いた。名前の下の、空いている行。
新そばは十一月だと、宿の人が言っていた。私は「十一月、そば」と書いた。それだけ書いて、閉じた。
一両の列車が来た。ボタンを押して、乗った。
