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五時間
祖母の傘寿だと、電話で本人から聞いた。傘寿が何かは、切ってから調べた。八十歳だという。
八十いくつだと思っていた。いくつ、の中身を、あたしは一度も数えたことがなかった。
いつもの一泊とは違う距離にした。博多まで、新幹線で五時間近い。仕事のアプリで、初めて三日ぶんの稼働を空けた。三日空けたのは、初めてだった。
三千五百坪
博多から在来線で二日市駅、そこから歩いて十分ほどだった。
門をくぐると、庭園があった。三千五百坪あるという。大正・昭和・平成、それぞれの時代の建物が分かれて建っていた。古いものを壊さずに、新しいものを隣に建て足してきたらしい。
祖母が、庭の鯉に、太ってるね、と言った。鯉は聞こえていないはずだが、少し速く泳いだ気がした。

慶応元年の創業だと、宿の人が言った。百六十年ぶんの何かが、この庭のどこかにあるはずだが、どこにあるのかは分からなかった。分からなくていいのだと思った。
傘寿
夕食は個室だった。祖母の傘寿を、二人で祝った。誰かを呼ぶという発想が、どちらからも出なかった。
祖母は、乾杯のあと、長生きするつもりはなかった、とだけ言った。あたしは、それ以上は聞かなかった。

次の八十歳
朝、祖母と二人で庭を歩いた。祖母の速度で歩いても、十五分あれば端まで行けた。
池のほとりに、男が一人いた。同じ角度から、何度も撮り直していた。撮り終えて、画面を見ずに歩き出した。
「次は米寿だね」と祖母が言った。米寿は八十八だという。あたしは、その日付をアプリの予定には入れなかった。八年先の予定は、アプリでは管理できない。手帳に、年だけ書いた。
