宿と小説の読みもの、余白
RECORD № 097

桑の木

選ばなかった人生を説明しない、静かな肯定

子を持たない生き方を選んだ。そこに至る道のりを、誰にも説明しない。説明しないことは、隠すことではない。他所の物差しで測られない練度が、少しずつ上がっている。

有希という語り手について →

本記事はアフィリエイト広告(Expedia・Relux)を利用しています。

空白の欄

返信はがきは、出席の欄に丸を付けて出した。

住所と名前は書いた。その下に、連名の欄がある。空けた。備考の欄も空けた。

空白の欄は、はがきの上では空白のままでいられる。人の前では、そうはいかない。

法事は十一月の第三日曜だった。焼香の順は、続柄で決まっている。私の順は、若いいとこたちより前で、叔母たちより後だった。

会食の席で、隣に座った親戚が言った。

「連名のところ、空いてたわね」

悪気はない。ほんとうに無い、と思う。悪気の有無は、聞かれたことの重さと関係がない。

「そうなんです」

それだけ答えた。答えたあと、その人は別の話に移った。移ってくれた、と書くほうが正確かもしれない。

帰りの電車で、宿を探した。那須の、山のほうに一軒あった。

駅からの送迎は、一日に二便と書いてあった。十三時三十五分と、十六時三十五分。前日までに頼む。

二便しかない、というのが、なぜか読んでいて楽だった。

十三時三十五分

新幹線で七十五分。那須塩原の改札を出ると、送迎の車が停まっていた。

十三時三十五分の便を選んだのは、早いほうだったからである。理由はそれだけで、ほかにない。

車は三十分ほど、川に沿って上がった。十一月の終わりで、山はもう葉を落としている。落ちた葉は道の端に寄せられていて、車が通ると、少し持ち上がってまた落ちた。

画像はイメージです

運転する人は、道の名前も木の名前も言わなかった。私は窓のほうを見ていた。

板室

宿は森の間にあった。

板室の湯は、昔から保養に来る人が多いのだと、宿の紙に書いてあった。薬湯と呼ばれてきた、とも。呼ばれてきた、と書いてある。効くとは書いていない。書いていないことが、私には好ましかった。

湯は、熱くない。長く入っていられる。

窓の外は木で、木の向こうも木だった。葉の落ちた枝が重なっていて、重なった向こうに空がある。空の色は、午後の三時から四時のあいだで、いちばん変わる。

上がって、庭を歩いた。庭に、大きな木が一本あった。幹に札が下がっていて、桑、と書いてある。

桑。私は、桑の木というものを、これまで見たことがなかったのだと思う。実がなる木だということは知っている。知っているのに、木を見たことがない。そういうものは、たくさんある。

札には、木の名前だけが書いてあった。樹齢も、由来も書いていない。

十一時

夕食のあと、廊下の椅子に座っていた。

離れた椅子に、男が一人座っていた。膝に手帳を開いていたが、書いていなかった。開いたまま、庭のほうを見ている。ずいぶん長いあいだ、そうしていた。

私は先に立った。

部屋に戻って、鞄から缶を出した。菓子の缶で、母の切り抜きが入っている。古い旅行雑誌の、温泉地の頁を切ったものだ。

実家の片付けは、半分残っている。残った半分から、この缶が出てきた。

前に一度、同じ切り抜きの一枚を頼りに、長崎まで行った。あの一枚には、母の字で丸がついていた。缶の中の残りには、丸がない。

母は切って、しまって、行かなかった。丸をつけるところまで行ったのは、一枚だけだった。

一枚だけ出して、地名を見た。読める。まだ、その宿があるかどうかは、分からない。

朝、復りの便は十一時だった。一便しかない。

十一時に乗って、三十分で駅に着いた。

新幹線の中で、叔母に礼状を書いた。文面は三行で、天気のことと、料理が美味しかったことを書いた。会食の席で聞かれたことには、触れなかった。

触れないと決めて書くのは、はがきの欄を空けるのとは、少し違った。触れないで書くのは、書きながら、置かないでいることだ。

投函は、東京駅の中でした。そのあと、切り抜きの一枚の地名を、携帯で調べた。宿はまだあった。

一枚だけ調べて、缶に戻した。

この続きに

読み続ける

行き先は、このサイトの中です。

この宿を

予約はこのサイトの外へ、後で送る一通は自分のメールへ届きます。

PR この記録の宿を予約する 板室温泉 大黒屋 予約サイト(Relux)が新しいタブで開く (外部サイトが新しいタブで開きます) PRExpediaでも空室を見る(新しいタブで開く)(外部サイトが新しいタブで開きます)

この頁の場所を、自分のメールへ一通送る

便り

次の話が公開されたとき、一通だけ届きます。

Field Notes

板室温泉 大黒屋

Overview

栃木県
Region
栃木県那須塩原市板室(板室温泉)
Access
東京駅から新幹線で那須塩原駅まで約75分。那須塩原駅から宿までは送迎タクシーで約30分(有料・前日までの予約制)、または路線バスで約50分。送迎タクシーは1日2便で、往きは那須塩原駅13:35発(1,650円)と16:35発(2,750円)、復りは宿を11:00発(1,650円)
Price
予約サイトで確かめた二万円台後半〜(1名1室・条件不明) 公開の情報から中〜高価格帯(Reluxの1名1室で二万円台後半〜。プランによって三万円台半ば・三万円台後半 と分かれる)

Facility

Room
大人1名・1室の検索で部屋3件・プラン2件(2名の検索では部屋6件・プラン2件)
Meal
食事の付くプランがある。予約の段階で選ぶ

宿タイプ

  • 温泉旅館
  • 湯治宿

向いている人間

  • 一人で予約したい人(大人1名・1室の検索で部屋3件・プラン2件が表示される)
  • 到着と出発の時刻が決まっている旅程を受け入れられる人
  • 駅から車で30分入った山あいで過ごしたい人

向いていない人間

  • 到着の時刻を自由に決めたい人(送迎タクシーは1日2便・前日までの予約制)
  • 送迎を無料で使いたい人(有料。往き1,650円または2,750円、復り1,650円)
  • 選べる幅を求める一人客(1名で出る部屋は3件)

予約前の注意事項

那須塩原駅からの送迎タクシーは有料で前日までの予約制、1日2便しかない(往き13:35発・16:35発、復り宿を11:00発)。乗れない場合は路線バスで約50分。1名で取れる部屋は3件で、2名のときの半分。料金と食事条件はプランで分かれるので、予約の段階で確かめること。

次の話

新しい記録が公開されたときだけ、一通お知らせします。
それ以外のメールは届きません。

メールアドレス以外は受け取りません。配信はいつでも解除できます。 取り扱いはプライバシーポリシーのとおりです。