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四日
班のグルチャが、四日止まってる。
誰も何も書いてない。
活動休止から、一年半を過ぎた。供給がないと、話すことがない。話すことがないのに、班は残ってる。二十三人。抜けた人はまだ二人。
木曜の夜、その二人目が抜けた。抜けるとき、何も書かなかった。人数の表示が二十四から二十三に変わって、それだけだった。
俺は「おつかれさまでした」を打って、送らずに消した。送り先がない。抜けた人にはもう届かない。
予定表を開いた。青は去年の三月で止まってる。緑も。灰色の会社だけが、毎週きれいに並んでる。
十二月の頭に、二連休がある。
三重に温泉があるのを、初めて知った。一泊、一万五千六百七十五円。現場換算だと、遠征一回の半分もいかない。
名古屋で乗り換える、と書いてあった。
乗り換え
こだまじゃなくてのぞみに乗った。急ぐ用はない。速いほうが安かったわけでもない。
名古屋のホームに降りた。遠征のとき、俺はいつもここで降りて、改札を出て、地下鉄に乗る。会場は決まってて、道も決まってる。
今日は改札を出ない。案内板の近鉄の矢印に従って、階段を下りて、また上がった。
名古屋のホームは、降りるための場所だった。今日は、渡るための場所だった。

近鉄は、四日市で乗り換えて、そこから四両になった。窓の外に山が出てくる。鈴鹿の山だと、あとで宿の人が言った。十二月の頭で、上のほうだけ色が抜けている。
終点で降りた。改札の外に、宿の車が停まっていた。着く時刻は、予約のときに伝えてある。
通知は、名古屋を出てから一件も来ていない。二回、画面を点けて確かめた。圏外じゃない。来ないだけ。
鹿の湯
宿の紙に、湯の由来が書いてあった。傷ついた鹿が湯に来たので、鹿の湯と呼ばれるようになった、と。呼ばれるようになった、と書いてある。それ以上のことは書いていない。
千三百年前だそうだ。俺の推しの活動歴は、九年だった。九年でも長いほうだと思ってた。
湯は熱かった。熱いのに、上がるとすぐ冷えない。冬の湯はこうなのか、と思って、比べる冬の湯を持ってないことに気づいた。
湯から上がって、窓のところで髪を乾かした。外はもう暗い。山の稜線だけが、空より少し濃い色で残ってる。
夕食は下の階だった。膳。皿が一枚ずつ来るのじゃなくて、最初から全部並んでる。並んでるほうが、俺は落ち着く。何がいつ来るか分かってるほうが、落ち着く。

離れた席に、一人で食べてる男がいた。膳の横に黒い手帳を置いて、食べる合間に一度だけ開いて、すぐ閉じた。開いてる時間が短くて、何を見たのかは分からない。
二十三人
部屋に戻って、グルチャを開いた。まだ止まってる。五日目。
スクロールした。去年の三月まで戻ると、一日に百件以上ある。写真、実況、感想、次の現場の待ち合わせ。読んでると速い。当時は、これを毎日読んでた。読むのが生活だった。
読み返して、俺は一つも思い出せない現場があることに気づいた。行ったはずなのに、写真を見ても出てこない。埋めるために入れた枠だった。
窓を開けた。冷たい。山の音は、しない。川の音も、車の音もしない。音がしないというのを、俺は初めてちゃんと聞いた。
一行
朝、湯にもう一度入って、送迎の車で駅に戻った。
近鉄の中で、写真を一枚撮った。窓から見えた山で、上のほうだけ色が抜けてるやつだ。
グルチャには送らなかった。班の一人に、個別で送った。三年前、はじめての遠征で新幹線の席が隣だった人。あれから現場では何度も会ってるけど、二人で話したことはたぶん一度もない。
文面は打たなかった。写真だけ送った。
名古屋で新幹線に乗り換えた。行きと同じ階段を、逆に上がって下りた。ホームで、通知が来た。班のグルチャじゃない。個別のほうだった。
開くのを、東京に着くまで待った。待っている自分が、少しおかしかった。
