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手帳
「予定を立てずに、行っておいで」と妻が言った。五か月前、越前あわら温泉から帰った翌週のことである。
以来、手帳の「自由時間」の欄には、何も書いていない。何も書かないことにしている。ただ、書かないと決めたこと自体を、頭の中で毎日確認している。以上。確認している、というのはつまり、段取りを立てているのと変わらないのではないか。そこまで考えて、考えるのをやめた。
散歩は続けている。四十分。妻に、毎日同じ時間に同じ道を歩いていると指摘された。指摘されて、初めて気づいた。気づいた後も、時間を変えなかった。
秋田に、金の湯と銀の湯が両方入る一軒宿があるという。駅からバスで四十五分。バスは一日に数本しかない。数本、という言葉に、行く前から時刻を三回調べている自分がいた。
乳頭
秋田新幹線こまちは、盛岡を過ぎたあたりから、山の緑が濃くなった。田沢湖駅で降りる。バス停の時刻表を、また見た。もう覚えている時刻だった。
バスは山道を上った。運転手が、狭い道でのすれ違いのたびに、鏡を見て、対向車のスペースを目算し、ミラーを畳んで通す。その一連の手順に、無駄がなかった。何十年もこの道を走ってきた手つきだった。名前も知らない人の、名前も残らない技術だった。
「妙乃湯温泉前」で降りた。徒歩一分。玄関で、女将らしき人が出迎えた。

二つの湯
金泉と銀泉、両方に入れると聞いていた。金泉は茶褐色、銀泉は透明に近い。成分が違う、という掲示を、几帳面に読んだ。露天風呂は混浴で、女性専用の時間帯が別に設けてあると、これも掲示にあった。段取りが明示されている湯は、安心する。
湯に浸かりながら、隣の脱衣所の前で、男が靴を揃えているのが見えた。爪先の向きを、壁と平行になるよう直していた。几帳面というより、意識せずそうしてしまう動きに見えた。手には手帳を持っていた。何を書いているのかは、見えなかった。

きりたんぽ
夕食はきりたんぽ鍋だった。地元の山菜が添えられていた。品書きには、産地まで書いてあった。産地を確認してから箸をつける癖が、まだ抜けない。
給仕の仲居が、鍋の火加減を見に、決まった間隔で部屋を訪れた。何分おきか、数えようとして、数えるのをやめた。数えなくても、向こうにはちゃんと段取りがあるのだろう。以上。
自由時間
朝、もう一度湯に入った。金の湯は、朝のほうが色が薄く見えた。
田沢湖駅の待合室で、こまちの時刻を三回見直した。もう覚えている時刻を、また見た。見たことに気づいて、手帳を閉じた。
手帳を開き直して、「自由時間」の欄を見た。今日は何も段取りを立てなかった。立てなかった、と書いたら、それも段取りになった。それに気づいて、少し笑った。
バスの本数だけは、今日は数えなかった。一つだけ。数えなかったことを、報告する相手はいない。それでいい、と思った。
