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制度、第三版
大久保の、素泊まり三千二百円のビジネスホテルで、僕はノートの新しい頁に「制度・第三版」と書いた。六月に入ってから窓の外はほとんど毎日雨で、部屋の壁紙は角から浮いている。指で押すと戻り、離すとまた浮く。こういう細部を、僕はいつか書くために憶える。憶えるだけで、まだ書いていない。
制度の第一版は単純だった。一行書けたら、湯に入っていい。銭湯は四百八十円で、四百八十円を人質に取れば一行くらい書けるだろうという見積もりは、三日で崩れた。書けないまま五日入らなかった週、日払いの倉庫で隣に立った男が僕から半歩離れた。その夜に第二版を作った。書けない日でも、働いた日は入っていい。これは制度というより降伏だったから、ひと月で第三版になった。一行の定義を広げる。消した一行も、一行と数える。
書けたかどうかを見るより、数え方を直すほうが早い。気づいてから、僕の制度は版だけを重ねている。
残高は四万七千二百十三円だった。そこへ三万円が振り込まれた。市の文学賞の掌編部門、佳作。選評は二行で、二行とも僕は諳んじられる。諳んじられるということについては、考えない。応募したのは四百字詰め三枚の掌編で、書くのに二ヶ月かかった。一枚あたり一万円、と割ってみてから、二ヶ月で割り直しそうになって、やめた。
三万円の使い途を、三日考えた。家賃に混ぜれば十日で消える。日払い三日ぶんと思えば、三日休める。ただ、これは書いて入った、初めての金だった。書けない夜に、書けた人の宿を調べる癖が僕にはある。松本清張が『波の塔』の一部を書いた宿が甲府の湯村温泉にあることは、その癖のせいでとっくに知っていた。一泊二食で、賞金がほとんど消える。書いて得た金は、書く人の宿で使う——という理屈を組み上げたとき、理屈のすぐ裏に家賃が黙って立っているのは見えていたが、見なかった。
新宿から西へ
東京駅ではなく、新宿から出る。新幹線を持たない者のための西口——と書きかけて、恥ずかしくなってやめた。あずさは新宿から出る。それだけのことだ。乗車券に特急券を足すと、素泊まり一泊ぶんを超えた。券売機の前で、僕は金額を二度確かめた。
ホームには濡れた傘の匂いがした。先頭車両の停まる位置に立つ。意味はない。癖だ。
あずさは定刻に出て、雨の中野や三鷹の屋根が窓を流れた。立川、八王子。ビルが駅ごとに低くなり、八王子を過ぎると車窓は前触れなく山になった。谷が深くなるにつれて、沢の水が白く増えていく。僕は窓に額を寄せて、これをどう書くかを先に考えていた。体験がいつも一拍遅れて届くのは、たぶん職業病だ。職業と呼べるものは、まだないのだけれど。
大月を過ぎて、笹子トンネルに入った。窓が黒くなり、耳の奥で気圧が動いた。トンネルを抜けると、で始まる一行を、僕は使えない。もう使われている。抜けた先で線路は下りに変わり、雨に烟る甲府盆地が視界の底に開けた。降ったものがどこへも流れ去らず、底へ集まっていく形の土地だった。
甲府駅の南口で、武田信玄の像が雨に濡れて黒く光っていた。タクシー乗り場を横目に通り過ぎて、バスに乗る。差額で缶ビールが二本買える。十五分ほど揺られて「湯村温泉入口」で降りると、宿までは一分も歩かなかった。太宰の短編に共同湯が出てくる温泉地だと、調べたときに知った。開湯はおよそ千二百年前だという。千二百年の湯に、佳作の三万円で入りに来た。
三千坪
門をくぐると、雨の音が変わった。約三千坪の日本庭園が敷地の中にあって、雨は屋根ではなく、葉に当たって鳴っている。三千坪の雨は、面では鳴らない。葉の一枚ごとに、違う高さの点で鳴る。昭和四年の開業で、「甲府の迎賓館」と呼ばれてきた宿だと、帳場の脇の刷り物にあった。僕の部屋は東館の和室で、窓の外はもう庭だった。畳の縁が擦れていない。障子の桟に埃がない。安宿の傷を数える癖で見てしまい、数えるものがなくて、手が止まった。窓際に小さな机があった。鞄からノートと、鉛筆を三本出して置く。三本は多い。多いと知っていて、僕は三本持ち歩いている。
雨が弱まった隙に、庭へ出た。傘は新宿のコンビニで買った五百円のビニール傘だ。敷石は雨を吸って黒く、木々の間に離れの屋根が低く見え隠れする。離れは七棟十一室、庭の中に散らばっていて、清張が『波の塔』を書いたのは、そのうちのひとつだという。井伏鱒二はこの宿を定宿にした。山口瞳も通った。将棋や囲碁のタイトル戦も、この庭を挟んで指されてきたらしい。書く人と指す人が代わる代わる聴いてきた雨を、いま僕が——と組み立てかけた文を、途中で捨てた。僕はまだ、その列に並んでいない。
庭の奥に、太い欅が立っていた。その欅の下に、男がひとり立っていた。傘の内で手帳に何か書きつけ、書き終えたあとも、雨の庭を見たまま動かなかった。
僕は欅の手前で足を止めて、幹の瘤の形と、男の傘の骨から落ちる雫の間隔を憶えた。声はかけなかった。憶えただけだ。

湯
夕食は個室の会場で、和会席が一皿ずつ運ばれてきた。最初の椀で、日払い半日ぶん、と数えかけて、箸を置いた。数えるのをやめたわけではない。数えながら食う自分を、いつか書くために憶えただけだ。欠けたままの左の奥歯に煮物の熱が沁みて、僕は右で噛み直した。椀の蓋の裏から露が一滴、畳に落ちた。誰にも謝らなくていいと気づくまで、数秒かかった。皿と皿のあいだが長い。長い間というものは、金で買うとこういう形をしているのかと思った。

部屋に戻って、窓際の机にノートを開いた。制度・第三版。一行書けたら、湯に入っていい。消した一行も、一行と数える。点で鳴る雨、欅の瘤、傘の男、離れの灯——今日拾った材料は頁の端に並んでいる。並べた材料は、どれも一行目にならなかった。鉛筆の尻を噛み、奥歯を舌で確かめ、雨音を数え、五十分が経った。
タオルを掴んで、部屋を出た。
大浴場は広く、湯気が高い天井まで立ち上っていた。僕のほかに誰もいなかった。書けていない。入っている。制度の破れ目に肩まで浸かって、僕は湯口の音を聞いた。湯気で硝子が白く曇り、庭も雨も見えなかった。見えないぶん、音だけが近かった。銭湯の四百八十円の湯と、賞金で入る湯は、湯としては区別がつかなかった。区別がつかないことを、憶えた。
部屋に戻って、ノートに書いた。「制度・第四版。旅先では、着いた日を適用外とする」。少し考えて、続けた。「翌朝は適用する」。書けるかどうかではなく、また数え方を直した。直している自分の手つきだけは、まっすぐ見なかった。
帰り
朝、雨は霧に変わっていた。障子を開けると庭が白い層の下にあって、離れの屋根が層の切れ目から一つずつ現れた。個室の朝食の、椀の湯気の向こうで霧が薄れていく。欅は葉先からまだ水を落としていた。欅の下には、誰もいなかった。
会計を済ませると、残高は日払い五日ぶんに戻った。帳場の人が釣り銭を両手で渡してくるので、僕は片手で受け取りかけて、両手に直した。
バスは定刻に来た。信玄像、甲府駅、あずさ。列車は笹子トンネルへ向かって盆地を登った。窓の雨を見ながら、ノートの最後の頁を開く。幹の瘤。傘の骨から落ちる雫の間隔。点で鳴る三千坪の雨。区別のつかない湯。拾った言葉は並んでいるのに、一行目は、まだそこにいない。
第四版の「翌朝は適用する」の行に、僕は線を引いた。それから、引いた線ごと数に入れることにした。消した一行も、一行と数える。それなら今朝、僕は一行書いたことになる。この理屈が理屈になっていないことは、トンネルの闇が窓に来たとき、僕にも見えた。見えたまま、抜けるのを待った。
新宿のホームには、昨日と同じ濡れた傘の匂いがした。改札を出ると雨で、僕は五百円のビニール傘を開いた。
