宿と小説の読みもの、余白
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離れを取れば、食事も部屋に来ると思っていないか。

離れや独立した棟に泊まれる温泉宿を、八軒。その問いの中身から先に確かめます。

旅館の玄関を入ると、たいてい人がいます。受付に宿の人が立っていて、名前を言い、荷物を渡し、部屋まで案内されます。廊下では他の客とすれ違います。浴衣の人、部屋へ戻る人、声をかけてくる人。

それが平気な日と、そうでない日があります。

八軒は、その玄関を通りません。部屋が別の建物にあって、外から直接入ります。誰にも会わずに部屋へ着けるということです。

ただし、そこまでは合っています。

そのかわり、部屋を出るたびに外へ出ます。

歩く距離が減るのではありません。歩く場所が、屋内から屋外へ移ります。雨の夜は傘を差して砂利を踏み、湯から戻るときも同じところを通って、湯上がりの首筋に外の空気が当たったまま、棟の戸を開けることになります。

外を何回歩くかは、棟の造りでは決まりません。膳がどこに出るかで決まります。

膳が、離れの部屋に来る

夕食が棟の中に運ばれる三軒です。食事のためにも棟を出ません。

旅館で聞こえてくる音のほとんどは、廊下から来ます。下駄の音、配膳の台車、隣室の襖、帰ってくる客の話し声。壁一枚を挟んで生活が並んでいるのではなく、廊下一本を挟んで並んでいます。

離れには、その廊下がありません。棟と棟のあいだにあるのは、庭か、木か、砂利道です。

離れが静かなのは、隣室が無いからではありません。廊下が無いからです。この軸で選ぶと決まるのは、部屋の広さでも設備でもなく、一晩のあいだに人の気配が何回通るかです。

はなれ宿 善積は全6室で、6室とも離れです。

石葉は全8室が本館と離れに分かれ、夕食も朝食も原則として客室に出る宿で、東京駅から湯河原まで乗換なしで約95分、そこからタクシーで約10分の場所にあります。亀の井別荘は全17室のうち離れが11室で、離れの客室は部屋食、本館の洋室はレストランになります。

膳がどこに出るかで選ぶと、外を歩く回数と、その時刻が予約の前に決まります。棟の中に膳が来るなら、湯への往復のほかに外へ出る用はありません。食事処へ出るなら、夕方と朝の二回、着替えと履物を整えてから戸を開けることになります。

八軒を、膳がどこに出るかで三つに分けました。棟を独立させた理由では分けていません。宿がそれを書いていないからです。

プランと部屋タイプで、どちらになるか決まる

離れであることは決まっていても、膳の出る場所は決まっていない三軒です。

季さら別邸 刻は全10室が離れ棟で、食事は部屋食か個室ダイニングのどちらかですが、どちらになるかの条件は予約ページに記載がなく、予約の前には決まりません。旅館 國崎の離れは露天風呂の付いた古民家の一棟で、夕食は部屋食が基本ですが、朝食は本館一階の半個室などに出るので、朝はもう一度、棟の戸を開けて外へ出ます。

棟を出て、食事処へ行く

離れに泊まりますが、膳は棟の外に出る二軒です。

小天狗さんろじは全8室すべてが離れで、各室に専用の露天風呂と庭が付いていますが、それでも夕食と朝食は個室の食事処に出るので、器の並ぶ席までは棟を出て歩きます。

棟の型から食事の場所は決まらない、というのはこういうことです。

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棟の戸を、何回開けるか

宿を選ぶだけで離れが取れると思っている読者には、この八軒のうち何軒かは向きません。膳の出る場所は、棟の型ではなくプランと部屋タイプで決まります。高志の宿 高島屋は部屋食のプランが中心ですがプランによって会場食になり、旅館 國崎の離れを使う会席のプランは2名以上に限られます。宿を選んでも、プランを選ばなければ食事処になります。

離れそのものも、宿を選んだだけでは付いてきません。亀の井別荘は全17室のうち離れが11室、高志の宿 高島屋は全18室のうちの一部が離れなので、部屋タイプを選ばずに予約すると、本館の部屋になります。取ったつもりでいたものが、鍵を渡されるときに違っています。

大正屋 椎葉山荘の案内にあるのは「離れ風の造り」という言い方で、離れと同じ造りかどうかは確認できていません。朝食は和洋バイキングなので、その席は他の客と共にします。

棟の中に膳が来ても、誰とも会わない夜にはなりません。運ばれてくるたびに棟の戸が開き、器が空けば下げに来て、そのたびにまた開きます。棟が独立していることと、誰にも会わないことは別です。

そして棟は、食事処からも大浴場からも遠い。雨の夜は、傘を差してそこまで歩きます。傘を畳んで戸を開け、履物の裏の砂を落としてから畳に上がる手順が、一晩のうちに何度か入ります。

料金も部屋の型も変わります。ここに並ぶのは掲載ページに書かれていたもので、現地で違っていることはあります。

棟の離し方には、呼び方の違いがあります。全室が離れの宿ならどの部屋を取っても、離れになる宿、本館のある宿で指定して取るなら離れを、指定して取る宿があります。

名前だけを書いた

大正屋 椎葉山荘は全客室が離れ風の造りで、食事は「レストランしいば」に出ます。棟から出て、そこまで歩きます。ここへ来た美咲の記録は、施設からの電話で始まります。母が今日もまた職員を「お姉さん」と呼んでいた、という報告です。悪い知らせではありません。ただの経過報告。それでも切ったあと、しばらく携帯を握ったままでいた人が、宿帳に代わりに、自分の名前だけを書いたと記します。棟が本館から離れているというのは、名乗る相手が減るということでもあります。

戸を閉めたあと

離れの数は数えられます。棟から食事処までの距離も、歩けば分かります。

数えられないのは、戸を閉めたあとに入ってくる音の種類です。

廊下が無いので、廊下の音はしません。かわりに外の音だけが入ってきて、雨の日は、そのうちの一つが屋根に当たる音になります。

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夜のうちに、履物の裏に付いた砂が乾きます。

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